190706
映画の後、会期が明日までと迫ったキスリング展へ。
モイーズ・キスリング(1891-1953)だが、クラクフ出身のユダヤ系ポーランド人、1910年、19歳でパリへ。パリ派の画家たち、即ち、フジタ、モジリアニ、スーチン、他にピカソ、グリスなどキュビストたちとの付き合いから、さまざまな様式を学び、実験的に自分の作品にそれらを試している。
したがって、時代ごとにめまぐるしく作風が微妙に変化しており、そんな中で1930年代にやっとこれぞキスリングという作風が確立されてきた印象がある。それでも、それらも同じポーランド出身の同世代人、タマラ・ドゥ・レンピッカ(1898-1980)を思わせる筆使いが感じられるのが興味深い。
彼は第一次大戦に志願して前線へ。重傷を負って帰国、その功績からフランス国籍を得た。また第二次大戦にも志願、自分がユダヤ人であることから、ナチスへの敵愾心が強く、ナチス側からも死刑宣告が出るなどしたため、一時期アメリカに亡命。戦後、南仏へ戻った。
自分がユダヤ人であることを誇りにしていながら、モイーズといういかにもユダヤ風のファーストネームを好んでなかったらしく、署名は一貫してKislingだけを用いていたというのも興味深い話である。
なにやら、伊勢丹の包装紙を思わせる色使いだが、強烈な印象を受ける。背景に緑を使うことが多いようだ。彼女の瞳、しっかりしているが、目線の先が定まらず、どこか哀愁を感じさせる。百合の花もキスリングが好んだ花の代表。
これなどもいかにもキスリングを感じさせる作品。日本の美術館所蔵のものが多いのは意外である。
構図がポール・セザンヌを思わせる。
色調はフォーヴィズムだ。床、テーブル、衣装に落ちる木漏れ日が画面に活力を与えている。
一目でティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」、あるいはマネの「オランピア」思わせる構図。ダイナミックな赤が強調されている。表情はどこか東洋的である。
画面いっぱいに盛大に花を描いた静物も結構展示されている。これも日本の画廊所蔵作。
今回、92点もの展示がある大回顧展になっており、新館まで目一杯展示されていて、これは予想外。これでシニアは550円というのは、普段、この倍以上払っている身にはありがたいこと、この上なし。
画像は同館のホームページからお借りした。