ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ドライブ・マイ・カー」@Amazon Prime

221025  3時間(なんと!)2021年、アカデミー国際長編作品賞(作品賞ではない)受賞で話題性の高い作品。国内では、結構賛否が割れて映画館には行ってませんでした。原作も未読です。

これがアマゾンで配信されたので、見ることに。もともと村上春樹には興味がないので、期待はしていませんでした。映画としても、取り立ててどうということもない印象でした。とにかくこの尺の長さには、やはり参りました。

主人公である舞台俳優・演出家(西島秀俊)が脚本家である妻(霧島れいか)に先立たれ、その死(くも膜下出血)を、あの日、もう少し自分の帰宅が早ければ防げたという思いに苛まれます。二人の間には4歳で亡くなった娘のことも暗い影を落としていただけに、はんぱない喪失感に襲われています。こうした導入部が結構続きますが、ここからがいわば本編というわけです。濱口監督が原作とは時系列を入れ替えたそうです。

2年後、演出家として、広島に滞在しています。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」のオーディション、配役決定、本読み、立ち稽古などで本番を迎えます。その間、本人の希望で広島から1時間の距離に宿をとってもらうので、往復に自家用車を使うのですが、主催者側の決まりで専属ドライバーを割り当てられます。

このドライバー(三浦透子)、無口で無愛想ですが、ドライビング・テクニックは一流です。ほぼ二人の間に会話はありませんが、あることをきっかけに彼女に降りかかった過去の事件(事故)を語り始め、二人の距離が縮まります。

エンディング、同じ車に乗っている彼女の姿が。ただし、舞台は韓国です。

走行シーンが長すぎで、かなり退屈します。ここをすこし工夫すれば、もっと短くできたはずで、走行シーン自体、あまり意味があるとも思えません。なんか全体に余計なカットが目立ちました。

本来脇役にすぎないドライバーですが、セリフ練習のためにカセットに入れた亡き妻のセリフを繰り返し聞きワーニャのセリフをひたすら練習する主人公、あるいは彼と芝居のキャストの一人(岡田将生)との後部座席での会話をすべて聞いています。そして、いつの間にか彼女は主役の一人になっています。

ドライブ・マイ・カーという言葉ですが、主語がありません。このタイトル、そのまま海外版でも使用しています。どういうふうに受け取られているか、気になります。誰が私の車を運転するのか。この場合のマイカーとは単に自家用車という意味なのか、その辺は曖昧模糊としています。

もう一つ奇異に感じたのは芝居のキャストに日本人の他、台湾人、フィリピン人、韓国人、手話者などがそれぞれ自分の言葉でしゃべるのです。もちろん字幕には日本語と英語が表示されています。そして演じる戯曲の作者はロシア人というわけです。

ところで、三浦透子という女優のことはまったく知らず、最後まで田畑智子と思い込んでいました。ここまで似ている女優がいることに驚きます。