ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「修道女アンジェリカ」と「ジャンニ・スキッキ」@川崎市多摩市民館

190503 プッチーニの三部作からどちらも一幕もののオペラ同士の抱き合わせ公演。

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三部作の中では、この「修道女アンジェリカ」の上演機会が一番少ないだろう。かなり地味な内容であり、筋書きも、カトリック色が強い分、日本人には馴染みにくい。また歌われる楽曲も、アンジェリカが後半歌うアリア、SENZA MAMMAが唯一聴かせどころで、ほかに目立ったアリアや重唱が多くはないので、無理からぬところか。党 静子がタイトルロールを巧みに歌ったのが、とりわけ印象に残る。

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夜公演の方を観た。

一方、「ジャンニ・スキッキ」の方は、アンジェリカに比べればはるかに見せ場が多いし、筋立て自体が楽しくできているから、飽きることはない。また歌唱的にも、有名アリアとしては O MIO BABBINO CARO一曲だけとしても、リヌッチョの歌う「フィレンツェは花咲く木のように」FIRENZE È COME UN ALBERO FIORITOも悪くない。リヌッチョ役の佐藤 圭、リリコで心地よい響の声の持ち主。願わくは、最高音をさらに響かせてもらえれれば、言うことなかったのだが。

応援しに行った原直子(ネッラ)、ソロの出番は決して多くはないだけに、その一点に絞ってよく頑張った。以前より艶やかな声が心地よかった。同じく応援している坂野由美子(チェスカ)も、ネッラとほぼ同じ程度の役割で、ソロが少なく、重唱がほとんどだが、この人の放つオーラはなかなかのもので、しっかり存在感を見せつけていた。

客席の照明が休憩時間からそのままになっている中、オケがチューニングを始める前から、キャスト全員が舞台に登場していて、それぞれこれからの展開を暗示するような動きを始めている。こうした手法は特に珍しいものではないにしろ、観客には楽しさを予感させるようで、演出としては悪くない。

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低予算でどうやって舞台を盛り上げるか、演出家にとっては、もっとも悩ましい問題だろう。その点、今回の舞台では、大いに工夫のし甲斐があったのではないか。過度にドタバタにならず、そこそこ笑いもとれていたのはよかった。ま、その分、演者側は負担が重くなり大変だったろうと想像される。

それと、二つの演目の一部キャストをクロスオーヴァーさせて、小道具類も使いまわしたりするなど、苦労の跡が窺われた。マエストロ、小編成でもしっかり演奏されたオケの皆さんもお疲れ様でした。

#23 文中敬称略

「ザ・プレイス 運命の交差点」

190502 THE PLACE  イタリア映画 101分 2018年イタリア映画祭で公開。原案・脚本・監督:パオロ・ジェノヴェーゼ(「大人の事情」'18でも原案・脚本・監督を担当)

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the placeはローマ市内のカフェ。実在するかどうかは未確認。

ローマのカフェにいる謎の男の元に次々に相談にやってくる様々な男女9名。それぞれに悩みを抱えており、この男に悩みを打ち明けると、解決案を提示してくれるのだが、引き換えにとんでもないミッションを押し付けられる。

夫をアルツハイマーから救いたい老婦人には人の集まる場所に爆弾を仕掛けること、モデルとセックスしたい男には見ず知らずの少女を誰かから守り抜くこと、神を感じたいという修道女には妊娠すること、がんの息子を救いたい父親に対しては、見知らぬ少女を殺すよこと、目が不自由な男には誰か女性をレイプすること、顔を美しくしたい女には大金を強盗すること、などが謎の男から命じられる。どれも突飛で、かなり達成困難な任務が強いられるから、彼らの中には罪悪感や葛藤に悩む者も。

男は黒革表紙の分厚いノートに時折書き込んだり、チェックしながら、一件落着となると、メモを灰皿の上で焼却する。この男は、なにせ朝から晩までこのカフェで過ごすから、当然店の女主人も興味津々。だが、無口で笑顔ひとつ見せず近寄りがたい雰囲気。でも、好奇心を抑えきれず閉店時に思い切って声をかけ、少しずつ打ち解け、意外なラストシーンへ。

このカフェの女を演じたサブリーナ・フェリッリマルゲリータ・ブイと共演した「私と彼女」IO E LEI '15)は現在54だが、端役に近いが、円熟の極みでかっこいいのだ。

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前半はなかなか展開が読めずかなりイライラするが、徐々に相談者同士の関係が見え始めると、それなりに引き込まれていく。だが、解決するケースとしないケースがあり、その辺がモヤモヤしてすっきりしない。少々後味のよくない作品。やや期待はずれ。

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表情がイタリア人らしくないアルバ・ロルバケールが今回演じるのは修道女

#29 画像はIMDbから

「オペレーション・フィナーレ」

190430 OPERATION FINALE  123分 米 監督:クリス・ワイツ

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これがベン・キングスレーとは気づかない。74歳で、半分の年齢の将校を演じたわけだ。

実話に基づくストーリー。アルゼンチンに逃亡したホロコーストの最高責任者の一人、アドルフ・アイヒマンイスラエル諜報機関モサドが極秘作戦で、アイヒマンの居所を特定し、誘拐、密かにアルゼンチンからイスラエルへ移送して、裁判にかけるまでの行動を描く。特に、自宅近くのバス停から家まで歩く間のわずかな時間・空間で、取り押さえてからエル・アル航空で脱出するまでの緊迫感はハンパない。

中心的な役割を任ずるピーター・マルキンを演じたのは、多芸・多彩なグアテマラ人、オスカー・アイザック。どんな役も上手く演じる。チームの一員、ハンナは、自身ユダヤ系のメラニー・ロラン。「イングロリアス・バスターズ」'09、「オーケストラ!」'09、「黄色い星の子供たち」'10、などでもユダヤ人を演じている。

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ユダヤ系フランス人のメラニー・ロランさん、いつの間にか容色衰えたり。

アイヒマン役のベン・キングスレー(Kingsleyはキングスリーが正しい発音だが)、さすがの名演!前半、憎々しいほどの太々しさ、観念した後半は、一転して思慮深い人物へとスタイルを変えている。

戦後、南米のブラジル、アルゼンチンには多くのナチス高官が逃亡していたのは事実。本件では国vs.国でなく、諜報機関がすべて仕切り、イスラエル政府はしばらく関与を否定していた。もちろん主権を侵された形のアルゼンチンは正式に抗議したらしいが、後の祭り。

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このシーンは、リアルタイムの映像で見た覚えがある。

こうしてイスラエルで裁かれた初めてのナチ高官がアイヒマンで、後に(1962.6.1)絞首刑になり、遺灰は地中海に撒かれたとされる。ユダヤ系の思想家・哲学者、ハンナ・アーレントアイヒマン裁判を傍聴、「陳腐で凡庸な悪!」と断じたことはよく知られていて、映画にまでなった。極悪非道の人物でなく、家族を愛する小市民的な人物と評した。

確かに、ナチスの上層部にあって、アイヒマンは単に歯車の一つにすぎないわけで、彼一人を裁いたからといって、20世紀最大の戦争犯罪とも言えるホロコーストには、ごく些細な事件ですらないのかも知れないが、イスラエルにとっては一つの区切りにはしたかったと見える。

映画の中でアイヒマンの息子とユダヤ人のガールフレンドが映画館で知り合うシーンで上映されていたアメリカ映画は、あら、懐かしや、愚亭が高一の時に見た「悲しみはそれの彼方に」(ラナ・ターナー、サンドラ・ディー、トロイ・ドナヒュー、そして本作の監督の母親であるスーザン・コーナー

このタイトルはfinalでなくfinaleとしてあるところがミソで、決勝ではなく、大詰め、大団円のような強調された意味合いが込められているように感じられた。元々は英語がfinal、イタリア語がfinaleで、同じ意味だが、音楽用語で使われると、すこし意味が異なってくる。それゆえ、Final Operationとせず、Operation Finaleと用いたものと思われる。

#28 画像はIMDbから

初めて新交響楽団を聴く

190429 友人に誘われて、普段は滅多に近寄らない池袋の芸術劇場へ。

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特別、期待していたわけではなかったせいかも知れぬが、これがアマチュアか?とまさに驚愕の一言。最初の演目、芥川也寸志の「オーケストラのためのラプソディー」の最初のホルンの咆哮から身震いするほど。咆哮から、消え入るような収め方。その後の弦楽の驚くべき奏法にも呆気にとられるしかない。

打楽器演奏も重要な役割を果たしており、出番、すこぶる多し。さまざまな楽器が登場するが、なかでもギロやカバサという珍しい楽器が登場、人目を引いた。

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ギロ。ギザギザ面をこすってギィギィという音を出す。中南米音楽では定番の楽器

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ポルトガル語で瓢箪を意味するカバサ。赤ん坊をあやすように優しく抱き、表面の玉が本体にこすれて音が出る仕掛け

まあ、ともかく全体になんとなく忙しげな音楽。

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アマオケとは言え、飛び抜けて歴史が古い。初期には芥川也寸志が丹精込めて育て上げたに違いない。聞けば年に4回も演奏会を開くというから、よほどの練習量だろう。

配布されたプログラムがまたよくできている。プログラム・ノートの記載がまた丁寧で奥が深い。それを団員たちが手分けして書いているのだが、いずれも専門的で舌を巻く。

バルトークについては、聴覚、嗅覚には人間離れした鋭さを持っていた熱烈な民族主義者として紹介、常にハンガリーを意識していたようだ。舞踏組曲は楽章ごとの切れ目なくわずかに間奏が置かれるだけで演奏されるから、「え、終わったの?」という感じで、拍手のタイミングに迷った。

また、シベリウスの2番などは、曲の構成を楽章ごとに詳細に記してあるから、それと突き合わせながら聴くと、また一段と味わい深い。

 

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ちょっと変わっているのは、楽団員の所属先が掲載されている。一般的には個人情報になるから、掲載されないのだが、プロではないことの証明のようなつもりで、芥川の指導で入れているらしい。もちろんご覧のように拒否する人もいるが、ほとんどが掲載されている。(偶然、自分がかつて勤めていた企業名を2ヶ所もみつけた)

こうなるとなんでも褒めたくなるが、プログラムにあるロゴマークも洗練されていて素晴らしい!

#22

歌劇「エロディアード」@オーチャードオール

190427

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6月には同じ二期会の「サロメ」公演が東京文化会館で。共通のチラシになっている。

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二日公演では、必ず聴きたい歌手が両組に登場するから悩ましい!

フランスでも滅多にやらないらしいオペラだから、もちろん愚亭も初めて観るオペラだ。シュトラウスサロメとは、また違った展開で、最後の盛り上がりに欠けるというか、ややメリハリに乏しく、気の抜けた終わり方のように感じられた。

ただ、旋律の方はやはりフランス人作曲らしい、なにかこうゆったりと典雅な響きのようなものが感じらえて、悪くなかった。リヒァルト・シュトラウスが余り好きでないので余計にそう感じたのかもしれない。それにしても、東フィル、さすがに上手い。

二期会合唱団も、素晴らしかった!普段アマコーラスを聴く機会が多いので、たまにこうしたプロ集団の合唱を聴くと、陶酔するというより身の引き締まる思いの方が強い。

今日は前から2列目、右セクションの左端だから、通常なら決して悪い席ではないのだが、オケが舞台前面に陣取り、ソリスト陣が主に歌うのがその後ろだから、手前の弦楽奏者たちの間に顔が見え隠れするという、視覚的には最悪の状態。

二期会のコンチェルタンテ・シリーズが具体的に何を指すのか判然としないが、セミ・ステージ形式のことを指しているのか。すなわち、演奏会形式ではなく、最低限の振りを含むということなら、一定の空間確保が必要になる。舞台が狭いオーチャードの場合は、合唱団とオケの間にしか作れなかったということなら、やむを得ないと思われる。

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目の前で高橋絵理と城宏憲が熱演。今や実力、人気共にトップクラスに駆け上がった二人の共演はまさに見応えタップリ!

それでも、サロメ高橋絵理)とジャン(城宏憲)のカラミの場面だけ、オケの手前で演唱してくれて、手が届きそうな距離感でたっぷり堪能できたので、文句の言える筋合いではない。

タイトルロールの板波利加のもの凄さ、久々に堪能。やはりこうした豪快な役を演じるソプラノは彼女を置いてはなかなか得難いと思われた。エロデ王の小森輝彦、ドイツ物が得意と思われるが、こうした役もよく研究しているらしく、巧者ぶりを遺憾なく発揮、さすが大したものだ。

最近めきめき売り出し中の小林啓倫、冷酷とも言えるローマ執政官をうまく感じを出して端正な歌声が耳に残った。

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高橋絵理と妻屋秀和

そして最初に登場して第一声を響かせる高僧役、妻屋秀和、ひげも蓄えて、一段と貫禄が全身にみなぎり、日本では追随を許さないほどの堂々たる歌唱を披露して、館内を圧倒しまくっていた。

 

エストロ、ミシェル・プラッソンは1933年生まれというから、ただ今85歳!巨体を持て余しながら、足取りも危なげに登場し、マエストロ椅子に腰掛ける。見ていても、はらはらするほどで、おそらくこれが日本でのラストステージという感じだ。途中、スコアを追えず、タクトを振りながら、震える左手でペイジを前後に繰り続けて、どうなることかと思ったほど。

部類の女好きのフランス男らしく、カーテンコールの際は、端役の金見美佳を強引に引き寄せほっぺにチュっとやんちゃぶりを発揮、これにはさすがに聴衆からは笑いが漏れた。

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見事なプロジェクション・マッピング

オーチャードホールの背面パネルはかなり凹凸が激しいのだが、そこを逆手にとって、うまく何種類か古代エルサレム付近の景色を映し出して、これが意外な効果を上げていた。

#21 文中敬称略 画像は東京二期会のHPからお借りしました。