ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

アンコールワットとベトナム縦断の旅へ 2

140318 ホーチミンの朝

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ホーチミンで投宿したホテルはRAMADAならぬRAMANA HOTEL SAIGON。正面は冴えないのだが、奥行きがやたら深い構造の、一応4つ星。確かに部屋は悪くないが、立地はイマイチ。因に部屋から眺めがこれ⬆。いやにごちゃごちゃした環境にある。遠くにやたら高い建物が。話題の超高層ビルらしい。

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バスタブとは別にシャワー室があるのはいいが、シャワーの取り付け位置の高さよ。愚亭は気にならないが、カミさんは嫌がった。ハンドシャワーがいいと。

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土地柄、木(もく)を多用しているのはよい。今回、5つのホテルを使用したが、どこもコロニアル・スタイルで、天井が無闇に高く、天然木をふんだんに使用。バスルームも広いし、ベッドも快適だった。総じて、この地域でツアーが使用するホテルはかなり上質とは聞いていたが、期待以上だった。ただし、どこもソフトが伴っていない印象。

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2日目、ホーチミンでのランチを取ったレストラン、LANG VIET。メニューは名物のフォー。文句なしに美味しかった。それだけでは、さすがに少ないので焼き飯がついていた。更に、ガイドがデザートとして、ランブータンを差し入れてくれ、これはややライチに似た食感で美味。

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ホーチミンからシエムリアップへの移動は、この飛行機。定員184人の中型機。所要約1時間。機内サービスはミネラルウォーター1本のみ。ベトナム航空はやや地味なカラースキームを採用。エンブレムは国花、蓮の花。尤も、この便は機体こそベトナム航空だが、中身はカンボジア航空。

ホーチミン空港での出国手続の際、アーミーナイフがうっかりポケットにあるのに気付いたが、時既に遅し。手近なゴミ箱に捨てざるを得なかった。この失敗はこれで3度目。パリ空港で購入し、長く愛用していたものだけに、痛恨!

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1時間後に到着したシエムリアップ空港。ターミナルビルはなかなか洒落た構えだ。ここから向かった先は国道9号線にある⬇このホテル。PACIFIC HOTEL。ややこの土地にそぐわないネーミングだが。

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結構な構えだが、9号線にはほぼ似たような大型ホテルが、正に軒を連ねるようにして建っている。そう言えば、その昔、アンコールワットへの最初のブーム到来時は、市内にある、たった2軒のホテルだけだったから、えらい変わりようだ。

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調度品がどれもずっしりした木材を使用しているのが特徴。しかし、食堂では、椅子が重過ぎて、少し動かすだけで、キィキィ音を立てるので、まぁうるさいこと!

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ミニバーの上には、決まってティーセットがあり、無料のミネラルウォーターが置いてあるのは嬉しい。ここはバスローブも常備。

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さて、3日目は早朝4時起きで、5時ホテルを出発。アンコールワット遺跡前の切符売場では、一人ずつ顔写真撮影をして、一日共通入場券が配布される。(@$20)

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夜明け前の暗闇で待つこと小一時間、僅かに顔を出した太陽。6時40分頃。

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さすがに荘厳!

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ここがベストショットが撮れる位置らしい。

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内部へ。こうした浮き彫りが随所にあるが、破壊されている範囲が意外に広く、さすがに心が痛む。

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有名な森本右近大夫の落書き。平家物語に出て来る祇園精舎と信じて、鎖国時代にここを訪れたそうだ。何カ所かに彼の落書きがあるらしいが、これは十字回廊の南廊石柱に書かれたもので、内容は、某資料によれば、

寛永九年正月に初めて此所に来る。生国日本、 肥州の住人、藤原の朝臣森本右近太夫 一房、御堂を心がけ、数千里の海上を渡り、一念 の儀を念じ、生々世々娑婆寿世の思いを清める者なり。 其の為に仏四体を奉るものなり。

ということらしいが、実際にはよく見えない。

 

(続く)