210125 10年前なら、我が家から徒歩で往復することもできたろうが・・・。まずは蒲田までバス。そこから呑川沿いに下流へ。両岸に人が歩ける道がある限りは、そこを通るが、そうは行かない場所も結構ある。右岸、左岸を繰り返して、やっと河口付近へ。
大田区の突端とも言える場所。こんなところに大森1中がある。区内に全部で大森のつく中学が7校。我が家付近には4中と3中がある。
ここは尾崎士郎も通ったという鉱泉があった界隈。明治34年の石碑が大森寺の境内に。
ウィキペディアには以下の記載。
明治中期に発見された鉱泉で、一時期は東京近郊の保養地として栄えた。太平洋戦争中に廃業した。
鉱泉を記念する石碑が当寺に建てられている。石碑には、当時日本亡命中の朝鮮国(大韓帝国)の政治家陸鐘允による漢文の詩が刻まれている。
さらに、手元の大田区発行の資料によれば、明治32年、鉱泉が発見されると明治35年頃に有志により最初の鉱泉旅館「光遊館」が開かれ、次第に来泊者が増え、新たな旅館も次々にオープン、数年後には森ケ崎鉱泉街を形成する勢いとなった。大正期には旅館、料理屋が二十数軒立ち並ぶ繁盛ぶりで、当時活躍した文士(尾崎士郎もその一人)や政財界人が多く来遊したという。しかし、太平洋戦争末期には軍需工場宿舎に転用、終戦後は戦災者などの寮となるなど、次第に衰退したようだ。