ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「誰のせいでもない」

161115 原題:EVERTHING WILL BE FINE(このまま訳したら、ボリウッドになってしまいそうだから、この邦題の付け方は見事)独・加・仏・瑞・諾合作 2015作品 121分 監督は「パリ、テキサス」、「ベルリン・天使の詩」のドイツ人、ヴィム・ヴェンダース。これも、いかにも彼らしい作品。

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⬆︎素晴らしいキャスティング

舞台はモントリオールとその郊外。売れない作家、トマス(ジェームス・フランコ)。妻、サラ(レイチェル・マクアダムス)との関係が最近しっくりいかず、イライラが募る。そんな最中、薄暮の雪中ドライブ中の事故で、子供を死なせてしまう。

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事故当時、半狂乱の母親ケイト(シャーロット・ゲンズブール)に、できることはなんでもするからと詫びるトマス。こんなこともあり、サラとの仲は、さらに悪化。

2年後の夏、ケイトを訪れると、詰りながらも、あれは事故だから別に恨んでないわ、と部屋に通し、トマスの方にしなだれかかり、そのままクッションを彼の膝に置いて、いつしか無邪気に眠ってしまうケイト。不思議な描写だ。

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4年後、著作の売れ行きも安定し、生活にも少しだけ余裕が感じられる。その後、別れてしまったサラの代わりに付き合っているのは、出版社の編集担当のアン(マリ=ジョゼ・クローゼ、「潜水服は蝶の夢を見る」カナダ人) 彼女の一人娘、ミナと共に、彼の家で同居を始める。

さらに4年後、すっかり成人した、事故死した男の子の兄、クリストファーが登場。モノ書きを目指す彼は、当時のことを覚えていて、自分の将来についてトマスに面会を求めるが、今はその時ではないと、いささか突き放した内容の返信を出してしまう。

後に偶然この返信を読んだケイトに、夜半過ぎというのに電話で叩き起こされ、「あの時、なんでもするから」って言ったわよねと。結局、クリストファーと会い、人生、そんなに甘いもんじゃないと諭すが、求められるままに彼がリュックに詰め込んでいたトマスの著作全部にサインをして、気まずく別れる。

この後、奇怪に”事件”があり、そのことがきっかけでクリストファーとの間に和解と共に家族愛にちかい感情が湧き上がって来るのを感じるトマス。秋色に染まった庭の木々の彼方に沈みゆく夕日を顔いっぱいに浴び、初めて笑顔を見せる。

4者4様に、微妙に絡み合った一本の糸が絡み合いほぐれ合い、おちつくところに落ち着いていくさまを、11年の時の経過を3段階に分けて描いている、見応えある作品。

結局、この男、一見頼もしそうに見えながら、実は物事に拘泥せず、愛もまた然り、一人自分の世界観に浸っているのが一番心地よいのだろう。それが無責任に見えてしまうか、そこに共感するかは相手次第ということか。交錯する3人の女性からそれぞれ詰られるのだが、どれも彼女らに理があるようにしか見えない。

さらに、ケイトの息子、クリストファーからの一発がいちばん効いたと思うのだが。曰く、あの事件がきっかけで小説家としていい作品をものにし、有名になり、以降、小説家としての確固たる地位を築いたのは、「不公平」であると。

冒頭から終始眉間の縦じわが消えることがなかった。

キャスト陣、4人ともに素晴らしかった。フランコ・ジェームスはもちろんだが、いつも気だるげで物憂い感いっぱいのシャーロット・ゲンズブールがいい。マクアダムスは、ちょっと損な役どころか。

映画の舞台はカナダだが、どっか北欧の匂いがプンプン。原作は北欧人だし、描写も、まるでハンマースホイの描く、人の気配が全くしないような室内描写があちこちに登場する。そこは、ヴェンダースとしては、かなり意識して作ったような気がする。

#85 画像はIMdbから。