ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

お寺でオペラ

200803 タイトルはなんと愛情物語 in Paris と来た!ちょっと構えたね。「愛情物語」って言われちゃうと、昔タイロン・パワーキム・ノヴァク主演のエディ・デューチン・ストーリーを思い出しちゃうけど。(日本にも同名の作品が1984年にあったらしい)ま、それはともかくとして、今日は、嫌がる家人を無視して、来ましたよ、品川の春雨寺(通称はるさめでら、本名はしゅんぬじ)まで。大崎からのアクセスしか記していないが、私は新馬場方面から。入口が寺のある方ではないので、そこに寺があるのは分からない。

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お寺での音楽会はなんどか経験があるが、オペラは初めてだ。寺とは言え、本堂ではなく付属するちゃんとしたホールだが。普段は法話やその他の集会場として使われていて、音楽でもリサイタル程度なら、まったく問題ないと思われるが、オペラとなれば話は別。よほどこの会場の仕様に合わせた作り込みをしないとしようがない。例えば、照明一つ取っても、多彩な演出効果は無理。まあ、レストランでオペラやることもある世の中だから、こういう企画があってもおかしくはない。

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演出家、三浦安浩の今回の上演の意図がつまったメッセージ

冒頭、挨拶を兼ねて作品の解説、時代背景など5分ほど。途中に2度ほど換気タイムに彼が登場して作品解説をしてくれる。彼のオペラ・シリーズは字幕がないので、よほど事前に学習しておかないとついていくのが難しいこともしばしば。アリアはすべて原語(イタリア語)だが、それ以外では、ほんのわずかだが、時折日本語の歌唱も含まれる。中には清水良一のようにイタリア語の後にご丁寧に日本語でもセリフを入れるようなことも。

このオペラは当時はやったヴェリズモオペラとしても脚光を浴びることになったが、1789年7月に勃発したフランス革命に生きた実在の詩人を扱い、ほぼ100年後の1889年に初演されたという。その意味合いを考えてほしいとおっしゃる。さらに、そこからほぼ120年後のわれわれはコロナ禍に苦しんでいる最中だ。「愛」と「希望」をキーワードにして、コロナ禍を耐えて生きてほしいということかな。

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シェニエはトリプルキャスト。青栁素晴のみ2回の出演。おつかれさま!

他に三浦解説で興味深く聞いたのは、台本作者ルイージ・イッリカが手掛けたプッチーニの「トスカ」との共通性についての指摘。「歌に生き、愛に生き」はここではマッダレーナが歌う「死んだ母を」、スカルピアの「この時を待っていたのだ」は、さだめしジェラールの歌う「祖国の敵」というわけだろう。

マッダレーナの川越塔子、情感豊かに、見事にこの難しいアリアを歌い上げた。低音部が結構続くし、バランスよく歌うのは結構難しそうだ。余談だが、昔トム・ハンクス主演の「フィラデルフィア」(1993)の中で、エイズで希望を失いかける主人公がこのアリアを聞いて感動する名場面を思い出す。(マリア・カラスの録音だった)

またジェラールの本作唯一のアリアは最大の聞きどころの一つ。ドラマティックに盛り上げる伴奏につられるように、静かに歌い始め、徐々に盛り上がる名アリアを今日は飯田裕之が鮮やかに歌った。この人、初めて聞くが、何しろ声がでかい(図体もデカイが)。高音部、もう少し伸びのある発声になるとさらに素晴らしいと思った。

大変だったのは青栁素晴!何しろ著名なアリアが3曲!「ある日、青空を眺めて」(1幕)、「私は兵士だった」(3幕)、「5月の晴れた日のように」もある上、最後にマッダレーナとの二重唱、「あなたのそばで、僕の悩める魂も」が待ち受けているわけだから、一刻も気を抜けないのだ。最高音もどんどん出てくるし、ほんとにテノール泣かせで、後で聞くと必ずしも体調が万全ではなかった青栁にはさぞ厳しかったろうと察するのみ。

再び余談:1961年、第3次イタリア歌劇団がオープンしたばかりの東京文化会館で公演したが、その時の演目の一つがアンドレア・シェニエで、デル・モナコレナータ・テバルディという当時世界最高の二人が出演とあって、人気の沸騰ぶりも想像できようというもの。あの頃、日本人のオペラファンにとって、あり得ないような舞台だったから、このラストの二重唱では熱狂のあまり拍手が延々と続き、テバルディも困り果てた表情に。愚亭にとって、白黒テレビでの鑑賞ではあったが、オペラというものに初めて出会った瞬間だった。

今日の舞台は黒が基調で、舞台回し役の二人の男女が全身白衣装で登場する。他のキャストはやはり黒に、赤、白を組み合わせ、最後はトリコロール、すなわち自由・平等・博愛の三色を揃えて幕となる。6時半開演、終演は9時、休憩20分だから、正味2時間と、いくつかのシェーナを割愛しているにしては結構長い。

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あいさつと解説をする三浦安浩。舞台はこのようにすこぶる簡素。

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三密と濃厚接触をさけるためのあいさつ(?)

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みなさん、ほんとにおつかれさまでしたぁ〜〜〜!!!


#13 文中敬称略

梅雨明けとベートーベン

200801 関東地方、キリの良い日に梅雨明けとなった。それにしても長い梅雨で、涼しいのは助かったが、やはり太陽が待ち遠しかった。そんな中、依然家族の大反対をよそに川崎へ音楽を聞きに出掛けた。

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今日、東京では新たに500人近い感染者が確認されたが、すでにチケットも入手していたので、迷わず家を出た。

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会場に着くと、まずは検温。カメラに顔を向けて進んでくださいと。チケットの半券は自分でちぎって所定のボックスに投入。いつもはスタッフがにこやかに手渡してくれるプログラムもなし。あちこちに用意されている二つ折りのチラシを各自ピックアップするようになっている。いつもなら、フェスタ・サマーミューザの小型だが厚めのカタログが渡されるのに。

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いつもこんな風にして聴けるといいけど、それじゃ興行がもたない。


指定席だが、自分では選べず、主催者側に任せるしかない。1階右寄りの席で、1席置きのアサインだから、前後左右が空いていてユッタリ感が。もちろん客席を眺めれば全員マスク着用。9割がた白いマスクで、残りは青と黒が半々ぐらい。黒は若い男性のみ。20分の休憩時間も、1階ショップ、2階のドリンクコーナー、いずれも閉鎖で、スマホをいじるしかない。

今日登場の群響の沿革等については、こちらを参照 → 群馬交響楽団

群響と言えば、なんと言っても「ここに泉あり」だ。1955年の作品だが、リアルタイムで学校から引率されて、渋谷の映画館で見た記憶がある。この映画でスメタナの「我が祖国」モルダウを初めて聞いたわけだ。当時、ヴァオリンを習っていたので、ことさら興味深く鑑賞したと思う。

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岸恵子岡田英次小林桂樹ら、懐かしい面々。

東京で以前一度だけ聞いたことがあるのだが、いつか思い出せない。地方オケでも歴史と伝統のある楽団らしく、とてもいい音色を奏でていたという刷り込みがある。

登場するやいつもの半分以下の聴衆にもかかわらず熱心な拍手が始まる。みんなの期待がそれだけ大きいと感じた。マエストロが登場すると、コンミスと肘と肘を軽く触れて挨拶。団員はマスク着用なしで、団員同士の距離もそれほど離していない、ごく普通の配置だ。

今日の出し物はベートーベン・イヤーらしい構成だが、演奏機会のやや少ない2曲、それぞれ35分程度の組み合わせ。滅多に聞くことのない2曲だから、こちらもいつも以上にしっかり耳を傾けたが、玄人好みというのか、難しいことは分からないが、耳に残るメロディー、つい口ずさみたくなる、楽器で奏でたくなるという旋律がまずない点が他の、3、5、6、7、8、9番と決定的に異なる点であることは否めない。それだけに、却って貴重なコンサートだった。

終演後、熱狂的な拍手鳴り止まず、最後にコンバス奏者が出て行った後も拍手が続くので、たまりかねて、マエストロが再登場してやっと鳴り止むという、珍しい光景となった。

#12

生配信で、音楽劇を楽しむ。

200720 本来ならすみだトリフォニーホールでかかるはずだったこの演目、生配信となった。配信音楽会は、既にずいぶん行われていて、見る・聞く側にも違和感がなくなってきているのは、結構なことだ。また、通信技術も飛躍的に上がっていて、音質も映像も言うことなし。

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テノールの青栁素晴は下の名前をもとはると読むのだが、ご覧のようにそのまま読めばスバルとなる。愚亭も日頃から大物歌手をつかまえて、恐れ多くも「スバルくん」などと呼ばせてもらっているが、彼が企画したこの演目にはまさうってつけの名前ではないか。ハンドルにもしっかりSUBARUとある。

ヒッチハイクというタイトルの通り、トラックらしき大型車を運転するスバル、ほんとはオペラ歌手になりたかったが、夢果たせず、今はしがないトラック野郎、とやや自虐的に歌い始めるのは「黒田節xSANTA LUCIA」。

出身地の福岡を出たトラック、さっそく一人目のヒッチハイカーを拾うと、彼女は「大津へ!」と、なんとも態度のでかいツグミだ。VISSI D'ARTE, VISSI D'AMOREやらO MIO BABBINOなんか披露。スバル同様、車内で歌えばいいのに、やはり揺れるトラックでは歌いづらいか、その都度、いちいち下車。下車すると、そこはスタジオという仕様。

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二人目の”乗客”は、カープ女子のサヤカ。歌うは「うぬぼれ鏡」とI COULD HAVE DANCED ALL NIGHT。ツグミが降りると、今度はパリが一番と気取る厚化粧のデザイナー、アキコが乗り込み、さっそくフランスの香りたっぷりのJE TE VEUX (エリック・サティ)を披露したりで、車は北上を続ける。

次に、東日本大震災を経験した頑固一徹だが朴訥で、なまりのきつい会津っぽ、ヨシヒトを乗せる。「死んだ男の残したものは」と暗い歌を披露。これにつられるのように、スバルが突然下車。「イートハーブの歌」を。

朴訥なヨシヒトをからかうように、アキコが「あなたの声に私の心は開く」で誘惑するが効果なし。厚化粧女は趣味じゃないと言われてアキコが憤然と降りたら、入れ替わりに千葉出身のキョーコが乗り込む。VOI CHE SAPETEを披露、なぜかヨシヒトと絶妙なケミカル・リアクション、LA CI DAREM LA MANOで盛り上がり、その後も二人で宮沢賢治やら武満徹を歌って・・・・

いつの間にか、みんな居酒屋らしきところで思い思いのアルコールで乾杯していて、「春なのに」を全員で。さらに、尾崎紀世彦ばりにスバルが「また逢う日まで」を軽妙に歌い始めると、全員がそれに和して、旅は無事終了、てな趣向で90分。

ノローグや、無声映画のように黒字に白抜きで字幕が随所に。地震、台風、疫病で苦しむすべての人々に勇気と希望をもたらしたいと願って今日もトラックは行く、どこまでも。と思ってると、「えっ!」

ついでだが、愚亭は学生時代にヨーロッパをヒッチること、ざっと1万キロ!ヒッチハイカーとしては筋金入りを自称している。当時、日本の経済水準もまだまだ途上国で、イタリアにすら及ばない軽い存在だった。ただ、東京オリンピックを間近に控えていた時期だったから、日本や日本人に対する関心が強く、リュックに日の丸を貼り付けて合図すれば、結構乗せてくれた。まあ、危ない目にも遭ったが、いい思いをした方が圧倒的に多かったのはラッキーだった。

#12 文中敬称略

大田区石川町2丁目界隈散策と、リニューアル・オープンした池上駅

200719 4ヶ月ぶりの合唱練習が石川町文化センターで行われたので、練習終了後、近くにある、かつて住んだことのあるマンションに立ち寄ってみた。

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昭和44年の物件 ニチモ・コーポラス石川台。南側に鉄骨で耐震補強が施されている。

現在入居中の住人には大変失礼な表現になるが、この見るからに古めかしいマンション、1969年夏竣工で、新婚2年目で入居している。右手、車がとまっている101号室。36.7m2の2LDK。333万円だったが、初任給2万円程度で入社間もない身分ではそれでも高嶺の花、親や会社から借金して手に入れた。せまくても、自分の家が持てたのはやはり嬉しかった。入居当日、アポロ11号が月からの生中継をしていた。

今、考えるとこんなせまいところに、よくもまあ入れ替わり立ち替わり友人たちを食事に招き、中には仕事上つきあいのあったスイス人夫妻まで夕食に招いたりで、まさに汗顔の至りである。

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昭和43年、購入時に入手したカタログがまだあった。

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付近を流れる呑川。この辺は中流付近で、水量も大したことないし、水面まで結構深い。

以前の記事にも載せたくだんの呑川、このあたりは、まことに長閑で牧歌的だ。あさなゆうなにここを渡って通勤していたので、大変懐かしい。遠景は大岡山付近。

さて、石川台駅から池上線に乗車、のんびり歩いていたらしい合唱仲間とプラットフォームで合流し、池上まで乗車。

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長々と改装工事をやっていた駅ビル、なんと今日、駅部分が開通した!

これまでは、改札口を抜けてから踏切があるという、もはや前世紀どころか前々世紀の遺物のような駅で不便をかこっていたが、これからは上り電車に乗ろうとしても手前の下り電車が発車するため、向こう側に渡れず、みすみす一本逃すような腹立たしき事態は起こらなくなった。

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大型エスカレーターで、混雑時でも乗降客を楽に捌けそうだ。

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商業施設(3階)の表示はただいまゼロ。

とりあえず駅だけ開業ということで、テナント入居は来春らしい。楽しみだ。

地元合唱団、4ヶ月ぶりに練習再開へ!

200719  先月、練習再開を決めたものの、この日が近づくにつれ、東京の新規感染者が猛烈な勢いで増えてきて、これじゃ再開しても練習参加者がいないのではと恐れていたが、なんとか想定に近い人数が集まり、とりあえずほっとした次第。

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これぐらいスカスカだと、なんとか三密回避はできたかな。

70人用のホールに15名なので、たっぷりと間隔が空けられて、密にはならずに歌えた。また全員マスク着用は当然だが、さらにマスク内部に団員が考案した自作の”秘密兵器”を忍ばせたので、たっぷり口周りに空間が作れて、思ったほど発声に苦労することはなかった。

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2時間ほどの練習で、30分ごとに換気タイムを5分ほどもうけ、ま、このかたちなら、今後も練習が続けられそうな感触が得られてなによりだった。

終了後は、みなでランチをたのしんだりするのが常だが、家人がうるさいので、まっすぐ帰宅することにした。次回は会場が大森で、しかも夜だから、飲みたい誘惑にまけないようにしないと。用心、用心!