200803 タイトルはなんと愛情物語 in Paris と来た!ちょっと構えたね。「愛情物語」って言われちゃうと、昔タイロン・パワー、キム・ノヴァク主演のエディ・デューチン・ストーリーを思い出しちゃうけど。(日本にも同名の作品が1984年にあったらしい)ま、それはともかくとして、今日は、嫌がる家人を無視して、来ましたよ、品川の春雨寺(通称はるさめでら、本名はしゅんぬじ)まで。大崎からのアクセスしか記していないが、私は新馬場方面から。入口が寺のある方ではないので、そこに寺があるのは分からない。
お寺での音楽会はなんどか経験があるが、オペラは初めてだ。寺とは言え、本堂ではなく付属するちゃんとしたホールだが。普段は法話やその他の集会場として使われていて、音楽でもリサイタル程度なら、まったく問題ないと思われるが、オペラとなれば話は別。よほどこの会場の仕様に合わせた作り込みをしないとしようがない。例えば、照明一つ取っても、多彩な演出効果は無理。まあ、レストランでオペラやることもある世の中だから、こういう企画があってもおかしくはない。
冒頭、挨拶を兼ねて作品の解説、時代背景など5分ほど。途中に2度ほど換気タイムに彼が登場して作品解説をしてくれる。彼のオペラ・シリーズは字幕がないので、よほど事前に学習しておかないとついていくのが難しいこともしばしば。アリアはすべて原語(イタリア語)だが、それ以外では、ほんのわずかだが、時折日本語の歌唱も含まれる。中には清水良一のようにイタリア語の後にご丁寧に日本語でもセリフを入れるようなことも。
このオペラは当時はやったヴェリズモオペラとしても脚光を浴びることになったが、1789年7月に勃発したフランス革命に生きた実在の詩人を扱い、ほぼ100年後の1889年に初演されたという。その意味合いを考えてほしいとおっしゃる。さらに、そこからほぼ120年後のわれわれはコロナ禍に苦しんでいる最中だ。「愛」と「希望」をキーワードにして、コロナ禍を耐えて生きてほしいということかな。
他に三浦解説で興味深く聞いたのは、台本作者ルイージ・イッリカが手掛けたプッチーニの「トスカ」との共通性についての指摘。「歌に生き、愛に生き」はここではマッダレーナが歌う「死んだ母を」、スカルピアの「この時を待っていたのだ」は、さだめしジェラールの歌う「祖国の敵」というわけだろう。
マッダレーナの川越塔子、情感豊かに、見事にこの難しいアリアを歌い上げた。低音部が結構続くし、バランスよく歌うのは結構難しそうだ。余談だが、昔トム・ハンクス主演の「フィラデルフィア」(1993)の中で、エイズで希望を失いかける主人公がこのアリアを聞いて感動する名場面を思い出す。(マリア・カラスの録音だった)
またジェラールの本作唯一のアリアは最大の聞きどころの一つ。ドラマティックに盛り上げる伴奏につられるように、静かに歌い始め、徐々に盛り上がる名アリアを今日は飯田裕之が鮮やかに歌った。この人、初めて聞くが、何しろ声がでかい(図体もデカイが)。高音部、もう少し伸びのある発声になるとさらに素晴らしいと思った。
大変だったのは青栁素晴!何しろ著名なアリアが3曲!「ある日、青空を眺めて」(1幕)、「私は兵士だった」(3幕)、「5月の晴れた日のように」もある上、最後にマッダレーナとの二重唱、「あなたのそばで、僕の悩める魂も」が待ち受けているわけだから、一刻も気を抜けないのだ。最高音もどんどん出てくるし、ほんとにテノール泣かせで、後で聞くと必ずしも体調が万全ではなかった青栁にはさぞ厳しかったろうと察するのみ。
再び余談:1961年、第3次イタリア歌劇団がオープンしたばかりの東京文化会館で公演したが、その時の演目の一つがアンドレア・シェニエで、デル・モナコとレナータ・テバルディという当時世界最高の二人が出演とあって、人気の沸騰ぶりも想像できようというもの。あの頃、日本人のオペラファンにとって、あり得ないような舞台だったから、このラストの二重唱では熱狂のあまり拍手が延々と続き、テバルディも困り果てた表情に。愚亭にとって、白黒テレビでの鑑賞ではあったが、オペラというものに初めて出会った瞬間だった。
今日の舞台は黒が基調で、舞台回し役の二人の男女が全身白衣装で登場する。他のキャストはやはり黒に、赤、白を組み合わせ、最後はトリコロール、すなわち自由・平等・博愛の三色を揃えて幕となる。6時半開演、終演は9時、休憩20分だから、正味2時間と、いくつかのシェーナを割愛しているにしては結構長い。
#13 文中敬称略