ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

コルマールとリックヴィールへ

3日目、近郊のコルマール、更にそこからバスで30分のリックヴィール(Riquewihr)を訪ねた。コルマールは何と言ってもマティアス・グリューネヴァルト(1470-1528)作のイーゼンハイム祭壇画を収納しているウンターリンデン美術館に行きたいと学生時代から思っていたが、やっと実現できて感無量。一方のリックヴィールは前述の友人夫妻から是非にと勧められた町。
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ベルリンの目抜き通りとほぼ同じ名前の美術館、ご覧の通り、元は13世紀前半に建てられた修道院。開館直後だったが、ご覧のように既にドイツから来ている観光客でにぎわっている。
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イーゼンハイムはコルマールから100kmほぼ真南に位置する村。この作品、元はここの教会の祭壇画だったものを、この美術館で常設展示するようにしたもの。何しろ3面11枚の絵で構成された大掛かりな祭壇画で、教会にあった頃は普段は第一面の↑扉絵のみ。日曜祝日にはこれが両側に開かれて第2面4枚のパネルが現れ、更に特別な日には第二面の真ん中が観音開きになって三枚の作品が見られるという途轍もないもの。もし、イーゼンハイムにそのままあれば、全作品を見るためには何日も滞在する必要があったわけだ。

キリスト磔刑図はゴマンとあるが、これほど強烈な印象を残す作品は少ない。何しろ日蝕で真っ暗なバックに、全身鞭打たれた跡や既に現れた紫斑で、キリストの身体は見るに耐えぬ惨状を呈している。そこへもってきて、苦悶の極致のような表情ときては、キリスト教徒ならずともいたたまれないような心境になる。加えてキリストの長くよじれた指、左下に小さく描かれたマグダラのマリアの合掌する誇張された指、或いは右側の洗礼者ヨハネの大きな手、流れるような構図、どれも見る者を圧倒してやまない。

資料によると、「この祭壇画は、聖アントニウス会修道院付属施療院にあったもので、この施療院は「聖アントニウスの火」という病気の患者の救済を主要な任務としていた。「聖アントニウスの火」とは、医学的には麦角(ばっかく)中毒と呼ばれるもので、患者が自らの苦痛を十字架上のキリストの苦痛と感じ、救済を得るために、このような凄惨な磔刑像が描かれたと言われる。
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水辺があると、どこの町でもこうした名前をつけたがるもので、ここではプチット・ヴニーズ(小ヴェニス)気組の屋並みがよくマッチしている。左下、川面に張り出したテラスでは、観光客らしき一群がのんびりと遅いランチを楽しんでいる。
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やってました、ここでも。緑色は珍しい。

コルマール発14時10分のバスで少し北にあるリックヴィールへ。
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この辺りの車窓風景はワイン畑。アルザスはリースリンクかピノ・グリが多い。
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ストラスブールの半分の規模のコルマール、更にその半分がリックヴィール。目抜き通りはドゴール将軍通りで、両側に土産屋と飲食店がびっしり。
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眠り猫を見つけた。こんなくぼみを利用している。
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いささか食傷気味なれど、一応撮影。
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ドイツやイタリアからこうして自転車やバイクでアルザス一帯を周遊する人も少なくない。
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路地裏の一角に古井戸。きれいに花で飾り付けをしている。こうしたちょっとした心配りが嬉しいねー。
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こんなたたずまいのレストランで一服も悪くない。
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コルマールに戻る手前に「自由の女神」が突如出現。何しろこの作品を作ったフレデリク・バルトルディはここの出身だから、町の人々はそれが自慢の種。