120826 新宿での昼食会のあと、渋谷で途中下車して、松涛美術館へ。昼に飲むと、どうも脱力感が強くて、いつもより美術館が遠く感じた。
東急Bunkamuraから更に5分ぐらい歩くから、駅からだと15分ほど。住宅街にあるのだが、結構小振りながらも豪壮な、ややいかつい印象の外観が特長。設計は白井晟一研究所、施行は竹中工務店。今日はFoujitaの挿絵本という、ややマイナーな世界を紹介していて、60歳以上、無料がありがたい。
解説書によると、
ヨーロッパにおける挿絵本の歴史は古く、書物としての価値だけでなく、芸術作品として一つのジャンルを形成。各時代、画家が本の内容に自らの解釈とイメージによる挿絵を描き、文字と一体化した美しい挿絵本を生み出した。とりわけ19世紀末から20世紀にかけては、印象派をはじめ新しい美術の潮流が挿絵本の世界に大きな変化をもたらす。画商ヴォラールは、ボナールやピカソ、シャガールら当時の著名な画家たちに依頼して、詩集や小説に版画による挿絵を付した限定版の挿絵本を世に送り出した。
「ラフォンテーヌ二十の寓話より」
Foujita(1886-1968)がパリに渡った1913年は、こうした挿絵本興隆時代。やがてパリ画壇で頭角を現し始めたFoujitaは、サロン・ドートンヌの会員に推挙された1919年、最初の挿絵本《詩数篇》を手がける。1921年には同展に裸婦像を出品、後に「すばらしき乳白色の地」と絶賛される画風により一躍パリ画壇で揺るぎない地位を確立すると同時に、挿絵本制作にも精力的に取り組み始める。1920年代、藤田は30点以上の挿絵本を手がけ、あの天才ピカソでさえその半数に及ばなかったことを考えると、いかに挿絵本の世界に魅せられていたかがうかがえるだろう。
本展は、1910年代以降に制作が始まり、戦後にまで至るFoujitaの挿絵本を一堂に集め、画家としての多面的な才能を紹介する。また、彼が活躍した両大戦間のパリを中心に、同時代のエコール・ド・パリの画家たちが手がけた挿絵本も多数紹介し、近代ヨーロッパにおける挿絵本の魅力や背景を探る。
展示点数は限られたものだが、他にシャガールの作品なども並んでいて、そこそこ見応えある展覧会。
2階の展示室は大きな空間で、しかも中央に大振りの革張りの立派なソファが並んでいるので、つい眠気覚ましに座ってみたものの、背当て部分が低いので、居眠りには不向き。しかもスタッフが見張っているので、やむを得ずエレベーター・フォアイエにある椅子で、しばし休息。外は凄い熱気だから、こうしてこまめに休息を取る必要があるのだ。(言い訳)
帰路は、円山町、嘗てテアトル渋谷、テアトル・ハイツのあった辺りを通って道玄坂へ出た。あの界隈はマンションとラブ・ホテル群に占められていて、昔の面影は、辛うじて百軒店という表示にあるのみ。寂しい限りだ。