ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」@損保ジャパン日本興亜美術館

150421 シュザンヌ・ヴァラドン生誕150年記念という副題のあるこの美術展、なかなか珍しい視点で楽しめる。母と息子が二人とも名の知れた画家になったというのも、他の事例を知らない。全部で80点弱が展示されている。

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⬆︎ロートレックが描いたヴァラドン

本名をマリー・クレマンティーヌというが、しばしば彼女をモデルに使ったロートレックが命名したあだ名がシュザンヌ。同じく彼女をモデルにして描いたいたシャヴァンヌの大作の中の裸婦シュザンヌのモデルだったことがその理由とか。

ユトリロも、そして彼女自身もいわゆる父なし子という不思議な共通点がある。彼女はモデルをしながら、描いた画家と次々に親密以上の関係になったらしいから、かなり自由奔放な女性だったらしい。かたわら絵画技法を学んだ、というより盗んだらしいから、もともと画才は相当なものだったようだ。自信を持っていたスケッチを重視し、時代を経るに従って、色彩も派手に、線描も力強くなっていく過程がよく分かる。

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⬆︎母、ヴァラドンが描いた息子ユトリロ。力強い筆致が印象的な作品。

一方、息子の方だが、幼少の頃に、母が親しくしていたスペイン人画家、ミゲル・ウトリリョ(Miguel Utrillo)に認知してもらったことで、Utrillo(フランス語読みでユトリロ)を名乗るようになる。

母親がしょっちゅう男遊びで不在ゆえ、もっぱら祖母に育てられることになるが、そんな環境で健全に生育するはずもない。やがて精神に暗い影が差し始め、そこから逃れようと、幼少時からワインを飲むようになり、青年期にはすでに立派なアル中患者に。かたわら寂しさを紛らわすため、絵を描き始めると、やはりDNAなのだろう、かなりの才能を発揮する。

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⬆︎自分の作品の脇に立つヴァラドン。中央は、ユトリロ(右)の画家仲間で、やがてヴァラドンと結婚することになるユッテル。画家仲間がいつの間にか自分の義父!

ユトリロの絵は、グレーがよく似合う風景画が圧倒的に多い。前半は、やや厚塗りの作品が、後半、アル中治療で入院していたボージョレにある病院を退院してからは、画風ががらっと変化。薄塗りで透明感が全体に漂う作品に。無駄のない構図という以外に、あまり特色のないありふれた作品が多く、自分にはあまり好きになれない画家の一人。

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⬆︎ヴァラドンも、そしてユトリロ自身もアトリエを構えたことがあるモンマルトルのコルト街12番地。現在はモンマルトル博物館になっている。裏手に小さなワイナリーを挟んでシャンソニエ、AU LAPIN AGILE ラパン・アジル(「ジルの跳ねうサギ亭」)が小さく見える。(左上)

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明るい色調と薄塗りは後期作品の特徴。

ヴァラドンを亡くしてからは、めっきり制作機会も減り、彼が崇拝していたジャンヌ・ダルクが火刑にされた火曜日とキリスト磔の金曜日は、ほぼ終日祈りに捧げていたとか。

そしてユトリロも、72歳で没したヴァラドンに合わせるように、パリ南西部ランド県ダクスにて71歳で亡くなる。反発しながらも、最後まで奇妙なほど共通点の多い母子であった。