ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

観光立国セミナーへ

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同期の北出 明氏(JNTO出身だが、50年前に一緒に研修を受けた)がライフワークにしている杉原千畝関連のセミナーのご案内を受け、麹町まで出かけた。

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新入職員の頃に上司だった人物が、かつてユダヤ人の日本海渡航事業に携わっていたことをJTB70年史で偶然知ることに。そこから持ち前の好奇心に火がついて、いろんな人物に会い、関係資料を渉猟し、ついに「命のビザ、遥かなる旅路」を上梓し、すっかり話題になる。最近では、はるばるアメリカまで出かけて講演をしている。

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この話に興味を抱いた人物の中に、俳優でもあり、映画製作者でもある梶岡潤一氏がいる。北出氏と意気投合、彼を主演にして24分の映像にまとめたものが今回上映されたドキュメンタリー「杉原千畝を繋いだ命の物語」である。

短時間にこれだけ”長〜い”話を手際よくまとめた手腕はなかなかのもの。北出氏が締めの中で言われたのは、もちろん杉原千畝は誰もが認める偉大な人物だが、ユダヤ人たちが筆舌に尽くしがたい辛苦を乗り越え、新天地へたどり着けたのは、他にも様々な勇気ある人たちがいたからであることを我々は忘れてはいけないと。

そこで触れたのが、キュラソ・ビザのこと。当時オランダ領キュラソーには税関もないことから、そこに目をつけた、同じカウナスにいたオランダ領事館領事ヤン・スヴァルテンディクで、杉原同様、キュラソ・ヴィザを発給したのだった。

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確かに送り出す側がいれば、受け入れ側にもそれなりの人物がいる必要があった。まして、通過ビザだから日本滞在期間は10日間と限られる。まずは、独断でユダヤ人の渡航を認めたウラジオストック総領事代理の根井三郎、「実害なき者は従来通り査証を与えるべし」と主張した駐ソ大使建部川美次、滞在延長に奔走したユダヤ文化研究者、小辻節三、彼を支援した松岡洋介などなど、かなりの数に上る。