161019 高齢者無料日を利用して、日が傾き始めた頃、上野の森へ。
詳細は→ゴッホとゴーギャン展
日本人が好きな印象派画家の中でもとりわけ好きなのがこの二人というのが定説。従って、繰り返し彼らの展覧会が開かれている。
今回展示の66展のうち、50展が油彩画というのは、かなりゼータクで、しかも大作も何点か並んでいるから、見逃せない展覧会。その割に、ゆったり見られたのは、入館時間が4時半頃だったからだろう。上野駅公園口を降りたら、見終わって帰路を急ぐ高齢者の群れとすれ違うことに。
構成は
第1章 近代画家のパイオニア誕生
第2章 新しい絵画、新たな刺激と仲間との出会い
第3章 ポン=タヴェンのゴーギャン、アルルのファン・ゴッホ、そして共同生活へ
第4章 共同生活後のファン・ゴッホとコーギャン
代表作;
ゴッホは30点もの自画像を描いているが、これは1887年夏の作品。驚くのは、この半年前、1886年秋の自画像とのあまりの違いである。画像がないのが残念だが、まず色調がこれ以上ないほど暗いことと、顔自体もかなりの隔たりがある。髪の量、表情、何より描き方。これほどの変化を生んだのは、果たして何か。
ゴーギャンの「ぶどうの収穫、人間の悲惨」1888年 どこか暗示的で隠喩に満ちた作品。ぶどうの収穫に勤しむ民族衣装着用にポン=タヴェンの女性、左に立つ木靴の人物、タネを巻こうとしているのか。そしてなにやら不満そうに不貞腐れている手前の女。それにしても、色調と構図の妙に引き込まれる。
ゴーギャン「タヒチの3人」果物や花にも意味をもたせているようだ。
ゴッホより5年早く生まれ、13年遅く死んだゴーギャン、作品数も、作品の変遷も少しばかり豊かなような気がする。特にタヒチに移住したことが大きい。ゴッホは亡くなる3年ほど前からものすごい勢いで描き始めるが、37歳で没したのは残念でならない。
この二人、互いに惹かれあっていたのは間違いないが、両方とも強烈な個性だったから、アルルの「黄色い家」での共同生活もあっという間に破綻したのは、まあ当然の成り行きだろう。それでも、ゴーギャンが読み終わって置いていったであろう本をさり気なくロウソク立てに並べて置いた「ゴーギャンの椅子」⬇︎(1888)という作品を通じて、ゴッホのゴーギャンに対する深い憧憬の念のようなものを感じてしまう。
逆にゴーギャンも「肘掛け椅子のひまわり」(1901)という作品で、はるかタヒチの空の下、ゴッホを偲んでいたかのようである。
激しい性格とは裏腹のような生真面目さで、37年を生きたゴッホ、一見ちゃらんぽらんで、適当に、そして巧妙に55年を生きたゴーギャン、二人の作品を比較しながら、こうして並んで見られるのは、滅多にないことだし、実にありがたい。