180613 監督・脚本・編集・プロデューサー:河瀬直美 題字も自分で書いている。多芸・多彩な人物!
奈良の吉野が舞台である。うっそうとした森の中で、鹿狩りをする老人(田中泯)。銃を構え直した瞬間、目を大きく見開き、絶句。これがのちの伏線となる。
劇中語られるヴィジョンとは薬草ということで、それを探しにはるばるフランスからジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)が訪ねてくる。
自分を山守と位置づけ、森の中で一人暮らしをする智(永瀬正敏)の元へ、ジャンヌは通訳の花(美波)と半ば強引に入り込む。花が途中で帰ってしまうから、ジャンヌは英語が達者でも、こりゃ意思の疎通に事欠くかと思えば、智は実は英語ができるという設定。(ちょっとこの辺り、安易かなと思ったが)
二人の間で、かなり哲学的な話題が展開するのもいかにも唐突感は免れない。「見る、聴く、触れる、感じる、それがすべてだ」みたいなことを食事中に智がボソッとしゃべり、これに大いに共感するジャンヌ。そして、その晩、すぐに男女の中に、というのも、なんだかなぁー。
しかし、この辺までは、まあまあついて行けるのだが、この後、さまざまな人物が登場し始めると、見てる側はどんどん混乱していく。こんなセリフにも深い意味を持てせようとしてるのか。「死とは眠りの一部でしかない」
智と近所づきあいで懇意にしているアキ(夏木マリ)は、いわばシャーマンのような存在らしく、いろいろ森について謎めいた言葉を智に投げかける。今から千年前に胞子が放たれ、次のチャンスが今到来していると言う。
どうやら解説によると古事記に基づいている話らしく、それを知らないと、監督が言わんとしていることの半分も分からない。これでは、興行的には結構厳しいと思わざるを得ないと、つい余計なことまで考えてしまった。
火、鹿、白い犬、などなど、隠喩としてさまざまな含意があることが、段々分かってはくるが・・・。
逆光、望遠撮影を多用した撮り方に工夫が凝らされていることと、景色の美しさには呆然とするような場面が少なくないので、そんな中で、独自の死生観、あるいは人間の輪廻のようなものを感じられれば、それでいいのかなとも思って、見終わった。
劇中、頻繁に出てくるトンネルは、あれは彼我の世界の接点なのだろう。それにしても、手の込んだ作品を作り上げたものよ。カンヌでは常連のこの監督、フランス人にどう評価されるか、興味津々。
ビノシュ(54)はさすがの演技である。また夏木マリ(66)のすっぴんでの熱演にも感嘆あるのみ。こう言う役どころをやらせたら、天下一品だろう。彼女の日本人としては彫りの深い、立体的な顔がみごとにこの役にはまっている。
#50 (画像はALLCINEMA on line)から