180612
この美術館、建物自体も素晴らしいし、緑に囲まれた環境も絶佳なれど、アクセスが悪くて、なかなか足が向かない。ところが、最近同展を鑑賞した、船橋在住の姉から「隣の区に住んでいながら、なんなの、その言い草は!」とばかりに、強力に勧められ、バスの時刻表まで写メで送られては、さすがに見に行かない訳にも行かず、今日、それを実行。
まあ、確かに、この展覧会、行ってなければ後で大いに悔やまれるところだった。それほど素晴らしいということ!
高山辰雄は、もちろん作品も多少は知っているつもりだったが、これほどとは、と言うのが正直なコメント。詳細▶︎高山辰雄展
今回は前後期合わせてだが、実に103点もが一堂に会する大回顧展。こんな機会は滅多に巡ってこないだろう。しかもほとんどが大作であるから、見応えたっぷり。
「砂丘」(1936) 砂丘の風紋の面白さに惹かれて描いた。寝そべる女性は後に辰雄の妻となる、友人の妹の友達だそうだ。砂丘と人物は別々に描いて、後で合わせたと自身が述べている。左側におかれたのはスケッチブック。表紙にCAHIER D'ESQUISSEと見える。人物画としても素晴らしいが、全体の構図といい、色調といい、唸らせる。24歳の作品とは思えない出来栄え。
年齢を重ねるにつれ、モノクロームに近い幽玄な作品に変化していくところがよく分かる。
この「室内」(1952)という作品、一見してその影響を色濃く受けていることがはっきり見て取れるが、ゴーギャンに傾倒した時の作品らしい。その前に、自信をもって出品した作品が日展であえなく落選。意気消沈している時に、画家仲間か先輩からゴーギャンの良さを吹き込まれていたらしい。
この人の作風は、構図もさることながら、やはり前半の作品における色彩感覚がそれはすばらしい。後年は、前述の通り、どんどん枯れた作風に変化していき、それはそれでまた鑑賞する側を圧倒してやまない。
ところで、この人のサインだが、1950年の「赤い服の少女」に初めて辰雄という字を少しデザイン化したサインが登場、脇には落款が見える(なんという字が自分には不明)が、その後、サインは入れたり入れなかったり、気分次第なのか。後年は辰雄の字を別な形で崩したものが登場し、以後、それで通したようだ。
「食べる」(1973) この作品には左下にサインが見える。
「星辰」(1983) 星辰とは星のことである。日月星辰を晩年はテーマのひとつに掲げていた。しかし、彼が終始興味を持ち続けたのは人間である。それゆえ、展覧会のタイトルにもわざわざ「人間・高山辰雄」としてある。子供、親と子を主題に取り上げた作品のなんと多いこと。
平日の午後とは言え、こんな素晴らしい展覧会なのに、館内は人影もまばら。おかげでゆっくりじっくり堪能でき、こんなありがたいことはない。今回ばかりは姉には感謝しかないなぁ。