ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「永遠の門 ゴッホの見た未来」

191112 AT ETERNITY'S GATE (永遠の門で)英仏米 112分 脚本・監督:ジュリアン・シュナーベル(NY出身、68歳、「潜水服は蝶の夢を見る」'07、監督だけでなく、しばしば出演も)

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ウィレム・デフォーが好演しているが、作品としては、賛否分かれそう。監督個人のゴッホに対する思い入れが強すぎるのか、人物描写が度を越しているように感じて仕方ない。人により解釈が異なるのは仕方ないとして、ゴッホの場合は弟テオとひんぱんにやりとりをした手紙も残されており、彼が何を考え、どう行動していたか、真相がかなり明らかにされている以上、あまりに勝手な解釈は許されないし、時として、ゴッホを侮辱するように思われてならない。そういう描写が随所に。

冒頭、ゴッホが胸中を明かすようなモノローグが平易な英語で語られる。(残念ながら発音はアメリカン)ついで、手ブレのカメラがフランスの田舎道で羊の群れと共に移動する土地の若いフランス娘を、ゴッホの目線でおぼろげに捉える。ここはややまずいフランス語で、デッサンしたいからちょっと動かないで貰えないかと告げる。この場面はあとで出てくるが、南仏アルルの近くかサンレミの郊外か。

その後、カメラはパリの印象派たちの集会の様子を映す。そこにはゴッホとともにゴーギャンオスカー・アイザック)の姿も。印象派たちとは一線を画すゴーギャンは悪態をついて立ち去ると、ゴッホがそれを追いかけ、すこしだけ絵画問答が。この時点で、ゴーギャンは、マダガスカル行きを話し、文明から離れたところで画業を続けたい胸中を明かす。(のちにマダガスカルマルティニーク島に変更され、さらにタヒチと)

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二人の会話は英語になったり、仏語になったり・・・

ここまで聞いたゴッホはどうせなら陽光まばゆい(と信じていたらしい)日本行きはどうかと。逆にゴーギャンからそういうなら、南仏、そうアルルあたりがいいんじゃないかと勧められるが、実際にアルル行きを勧めたのはゴーギャンではないはず。

映像はビュービューとミストラルが吹き荒れるアルルの一室にいるゴッホを映し出し、脱ぎ捨てた古ぼけた靴を描き始める。行った時期が悪かった。多分、3月上旬だろう。ま、ここからアルルでの孤独な生活、ゴーギャンを呼び寄せての共同生活、意見の食い違いから耳切事件、精神を病んでサンレミの精神病院への入院と不遇が続く。

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弟テオの献身的なサポートでなんとか画業を続けるが周囲から狂人扱いされ世間から見放されかかる。見かねたテオが一旦パリに引き取るが、ゴッホは自分の居場所がそこにもないという。結局、絵画に理解のある医者、ガシェのいる終焉の地、パリ近郊、オーヴェール・シュル・ロワーズへ。

エンドロールのキャプションで出てくるが、80日間この地にいて、実に75枚もの油彩を残したというから、とんでもない制作活動だったことが分かる。まるで間もなく来る死を予感していたかの如く。

ゴッホの死については、いまだに真相不明でが、本作では土地の不良少年に襲われ、もみ合っているうちにピストルが暴発したことになっている。カフェ兼旅籠「ラブー亭」の粗末な2階の一室での最後の言葉は、「このまま死ねるかな」とテオに語ったとされるが、本作では「神は、自分の息子を迎え入れてくれるかな」となっている。

感心しなかったのはカメラワークと音楽。ハンドカメラを用いて、極力ゴッホの視点になって、彼の思いを追体験させるかのように、あえてブレた映像が随所に。また不協和音を多く取り入れたようなピアノの旋律が全編に流れ、まことに不快だった。

またどうでもいいようなシーンや会話が多く、112分といわゆる長尺でもないのに、なぜこうしたものを入れたのか首を傾げたくなった。ゴッホの精神性にこだわろうとしたかったのか、神学論や哲学的なセリフがあまりに多く、そこもいささかうんざりした次第。

主役のウィレム・デフォー、オランダ人の名前だが、まったく関係ないそうだ。ちなみにゴッホのミドルネームはウィレム。ゴッホが死んだ歳は37、デフォーの撮影時の年齢は63である。

共演にはオスカー・アイザックマッツ・ミケルセンマチュー・アマルリックエマニュエル・セニエアンヌ・コンシニと知られた名前が並ぶ。

映像化されたゴッホの伝説作品は数多あれど、1957年、ヴィンセント・ミネリの「炎の人ゴッホ」が秀逸。カーク・ダグラスアンソニー・クインゴッホゴーギャンを演じた。

#67 画像はIMBdから

「トスカ・ドラマの転換」@日生劇場

191111 劇場から案内をいただいていたイベントに。

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このシリーズも回を重ねて26回目

あいにくの雨で、出足はいつもより鈍かったようだ。過去何度かこの催し物には参加している。

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はじめに、演出、舞台美術、衣装、照明の責任者によるパネルディスカッションが映像入りで開催された。

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今回の舞台装置が驚くほど緻密に製作されていたことで、その舞台裏を知ることができたのは大収穫。やはり実踏とでもいうのか、美術担当の横田あつみがローマに赴き、サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会にしろ、ファルネーゼ宮(現在はフランス大使館として使用されているため、内部は見学不可だったらしいが)にしろ、実際に現地で見聞しているからこそ、これだけのものが作れたのだろう。

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実物大を製作する前の過程として、こうした模型を作るようだ。第1幕、第2幕使いまわし。

一部を入れ替えるなどして、骨格部分は見事な使い回しで無駄な費用を切り詰めていることが分かる。

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第3幕、サンタンジェロ城の屋上部分。幕開けと「星は光りぬ」の詠唱の場面では、下手側は幕で隠されていて、銃殺の場面からこちらが主舞台となる仕掛け。

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パネリストたちが舞台上で詳細に説明してくれる。

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キャストたちがどのように登場するかなど、動きについても音入りで説明。

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今回、紗幕を効果的に使用しているが、このイタリア全土地図も紗幕。

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回し舞台は人力。実際に動かして再現。

主として舞台上で解説してくれたのは演出の粟国 淳。この人は生まれこそ東京だが、父親の仕事の関係で幼少時からローマで育っていて、今もローマに自宅があるそうだから、ほとんどローマ人。

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衣装の早替えは、いちいち袖に下がる時間がなければ、舞台転換の際に影で30秒でやることも。

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後半は見学者たちがいよいよ舞台に上がる。

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衣装の豪華さに目をみはる見学者たち

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実に豪華な衣装。左からスカルピア、トスカ(1幕)、トスカ(2幕)、カヴァラドッシ

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トスカが花を捧げた祭壇。近くによるとこのマリア様、案外画質の粗いコピーを使用。

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カヴァラドッシが作業中のマリア像

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Te deum laudamusの場面。(日生劇場のサイトから)

衣装担当の増田恵美によれば、トスカの時代設定は1800年の6月という、かなり具体的。その年号で、その季節でローマではどういう衣装が実際に着用されていたかまで考察して決めていったそうだ。そこまで細かく考えて衣装を決めていく作業が求められるのだから、どれだけ神経を使ったことだろう。白は不可ということから、かなり鮮やかな組み合わせの1幕の衣装になったとのこと。

2幕では、一般的には情熱的な赤の衣装で「歌に生き、愛に生き」をトスカに歌わせることが多いのだが、演出側から今回は青でという注文があり、こうした鮮やかな青の採用に至ったそうだ。

また、照明の凄さというか大変さも、今回の説明を聞いて、初めて全貌が分かったような次第。紗幕が降りている場合など、スポットの位置が限られてくるための難しさなど、担当の大島祐夫から細かく語られた。

文中敬称略

「トスカ」@日生劇場

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今日は前から2列目なんで、オペラグラス不要かと思ったが念のために持って行った。顔の細かな表情などは、肉眼では見えないから、持参してセーカイだった。

堂々たるソリスト陣、圧巻だった。歌唱については、文句のつけようなし。しかも、演技のうまさが特に目立ったのが、砂川涼子黒田 博、とりわけトスカが最後にサンタンジェロのてっぺんから身を投げる場面、実に優雅に落ちて、ここは大ブラーヴァ!

欲を言えばきりがないが、雰囲気的にはイマイチかなというのは、お二人とも同じ。トスカというのは信心深い反面、嫉妬心が強い、見た目は優雅でも、案外図々しい女でもあるわけで、清楚で小柄な砂川涼子では、それが出しきれない気がする。

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スカルピア刺殺後、燭台を枕元に置くトスカ (日生劇場のサイトから)

スカルピアも同様で、世界級でもなかなかぴったりはまるバリトンは滅多にいないわけで、上品な黒田には、いささか酷な注文かも。いずれにしても”ないものねだり”なのだが、つい・・・。

カヴァラドッシの工藤和真、数ヶ月前のコンクールや、この公演のためのオードブルコンサートでも、若いのに、このうまさはどうだ、と感心したものだが、いざ舞台に上がってみると、これがちょっと違うのだ。まだ20代で、舞台経験が薄いから仕方ないし、今後の大化けに期待しよう。

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工藤にはいきなりの大役、少しばかり荷が重かったか。(日生劇場のサイトから)

幕が開いてびっくりだったのは、舞台装置の精緻さと紗幕の使い方の巧妙さ。NYCのメトも驚くほどのすばらしさ!!!アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会内部やファルネーゼ宮殿(確か?)内部の作り込み具合が半端ないのだが、加えて、上手側1/3ほどの空間が回舞台になっていて、これの使い方が絶妙!

さらに、紗幕を効果的に使用しているのにも感心しきりだった。ファルネーゼ宮殿内のスカルピアの執務室の壁にはイタリア全土の地図がかかっているのだが、カヴァラドッシを拷問する場面では、この地図の後ろ側に照明を当てて、拷問シーンがくっきり浮かび上がる。

また、ナポレオン軍勝利という知らせが入ると、前線の戦闘シーンが同じように紗幕を通して見える仕掛けになっていて、こうした演出は今回初めてお目にかかった。

つい先日、横浜方面で妙な演出のカルメンを見た後だけに、こうしたオーソドックスな舞台装置や演出には我が意を得たりという思いを強くした。

#73 文中敬称略

 

ステファン・ポップを聴きに

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正直なところ、この名前はこれまでまったく聞いたことがなかった。ところが、検索したところ、世界の主要なオペラハウスには既に出まくっていて、日本ではあまり話題になっていないのが不思議なほど。

ルーマニア出身と言えば、まずはアンジェラ・ゲオルギュウが思い浮かぶが、ちょっと前なら1974年に来日しているソプラノのイリアナ・コトルバシュか。男性では大成したオペラ歌手は知らない。ポップはまだ32歳の若さだから、今後が大いに楽しみである。

ジャパン・ツアーと銘打っているように、すでにあちこちで公演してきて、この横浜公演がどうやら最後らしい。主催のサルヴァ・ベルカントという団体もまったく知らなかった。

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上の青く塗った5曲とアンコールの2曲、計7曲歌ったが、中では、「人知れぬ涙」が絶品だった。意識してやってるのだろうが、特に高音でピアニッシモを聞かせるあたりは、なかなかのテクニシャンだ。パヴァロッティの再来とまでは言えないが、歌い方がよく似ている。(ついでに、体型も)

ところでチケットの額面がかなり高額な割に、プログラム配布はなく、上のチラシが一枚だけ。ジャパンツアー限定プログラムとして、1部2,000円で販売していたが、ちょっとねぇ。

そういえば、昔ルチーア・ポップというソプラノがいたが、チェコ出身で、Popp、こちらはルーマニア出身で、Popだから、関係はなさそうだ。それにしてもステファン・ポップという名前はゴロもいいし覚えやすいから、これは有利に働くこと、間違いない。

しかし、「・・・とその仲間たち」が、もう少しなんとかならなかったのか。あまり贅沢は言えないが(知り合いの歌手からのご招待だったので)、例えば、このロベルト・ボルトルッツィ(Roberto Bortoluzzi)というバリトン、風貌はともかくとして、肝心の歌がイマイチ。そもそも声が響かないのが致命的。その上、聴かせどころの「ヤーゴの信条」では、歌詞をなんども間違えるなど、ブーイングが聞こえたのも仕方ないだろう。試しにYahoo!Italiaで検索したが出てこないぐらいだから、おそらく母国でも無名扱いの歌い手かも。

進行を務めた藤澤ノリマサ、ポップ・オペラというジャンルを紹介していたが、よく分からない。(ポップにひっかけたギャグかと思ったが)ポップスの歌唱をサビの部分でオペラ風に歌うというようなことか。自ら少しだけ高音を出して、ブラーヴォの掛け方の練習を聴衆にさせていたが・・・。

第2部では、まずは合唱でイタリア第二の国歌、「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」。主催のサルヴァ・ベルカントが募集した合唱団によるもので、何人か知った顔が。また、エンディングの「誰も寝てはならぬ」では、女性団員のみ衣装を思いっきり鮮やかなものにして登場、アンコール2曲目の「フニクリ・フニクラ」をポップと大合唱で幕。

アンコール1曲目は"À Luciano!"と言ってたから、パヴァロッティに捧げるということだろう、Non ti scordar di me忘れな草)。

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最後に、椿姫から「乾杯の歌」までサービス。ほんのワンフレーズだけマエストロが歌って会場の笑いを取る場面も。左から二人目がサルヴァ・ベルカントの代表者、3人目が藤澤ノリマサ

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終演後、楽屋口からステファン・ポップが出てきて、誰とでも気さくに握手したりおしゃべりしたり、笑顔をふりまいていた。

 

#72

「印象派からその先へー」@三菱一号館美術館 内覧会へ

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吉野石膏が近代絵画、とりわけ印象派の作品を相当所蔵しているらしいことはしっていたが、まさかこれほどとは!圧巻の所蔵量とその質の高さには驚く。

夕方の6時に受付と同時に入館、30分ほど自由に鑑賞し、気に入ったものは画像に収める。6時半、いつものようにトークショーの始まり。

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上のチラシにあるお二人が登場。楽しいやりとりが展開される。

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まずは今回の目玉のひとつでもあるルノアールパステル画について、由来や特徴を解説。

この「シュザンヌ・アダン嬢の肖像」は、本展での展示全68点中、4点のみがパステル画、さらにそのうち3点が印象派で、その一点。親交のあった家族に、ルノアールが友情の証としてその家の娘を描いたもの。

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3階の中心にあるこの画室、中央部分にこの湾曲する仕切りがあり、左から順にルノアールの「シュザンヌ・アダン嬢の肖像」、ドガの「踊り子たち、ピンクと緑」、そしてメアリー・カサットの「マリー=ルイーズ・デュラン=リュエル嬢の肖像」と、いずれもパステル画の傑作が並ぶ豪華な曲面である。ちなみに、デュラン=リュエルとは、印象派作品の普及に努めたやり手の画商の名前。

ここのピンク系の壁面、反対側は補色のグリーン系になっていて、この画室内のある作品の色彩からヒントを得たのだそうだ。答えを聞き漏らした。

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マネの「イザベル・ルモニエ嬢の肖像」顔はそこそこ立体感のある描き方だが、胸から下は、ささっと速描きで、マネらしい特徴が出ていると解説。

自らは印象派には属さず、先駆け的な役割を果たしたマネ、印象派画家から慕われ、兄貴分、親分的な存在であった。あまり画面に陰影をつけず平板なタッチが特徴。背景ものっぺりしたもので、この作品では顔のあたりの背景を黒っぽくしているが、いかなる効果を狙ったのか。

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ゴッホ初期の作品。依頼主からは食堂に飾る絵ということだったが、依頼主の期待に反して、こういう図柄になったのはいかにもゴッホらしいと言える。アルルに移ってからは頻繁に作品に登場することになる太陽が、オランダ時代にもすでに登場し、画面にアクセントを与えるように効果的に使われている。

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ゴッホがパリに移ってから描かれた静物。色彩がガラッと変化している。補色をうまく用いている。

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モネも仲間の死を悼み、遺族のために奔走したようだ。普段は、モネやルノアールたちより、高く売れることのなかったシスレーのこの作品にはとびきりの高値がついたというのもモネたち印象派仲間の功績の一つかもしれない。

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ほかに著作権が切れていないため、撮影不可扱いになったのが、ルオー、ブラマンク、ブラック、ミロ、ピカソ、ヴァン・ドンゲン、シャガールの作品が相当数、展示されていた。見どころ、満載の企画展。→ 詳細は同美術館のホームページ参照。

会期は来年1月20日まで。

 

なお、上記撮影については、主催者から特別な許可をいただきました。