ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

吉田博展@損保ジャパン日本興亜美術館

170725 前期の会期が終わろうとしているのに気づいて、慌てて蒸し暑い中、新宿まで。相当な混雑を予想していたが、拍子抜けするほど。

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「渓流」55 X 84 この微細さやどうだろう!しかも木版画としての特大サイズで、この大きさになると、刷っているうちに紙が伸びたりして、ぴったり合わせるのが大変とか。

この画家のことは、テレビ番組などで知ってはいたが、作品を生で見るのは今回が初めて。噂に違わず、ものすごい日本人画家がこの時代(19世紀末から20世紀前半)にいたものと、誇らしい気分になる。

幼少時の頃からのスケッチブックも多数展示されているが、ものの見方が実に細密であることに驚く。それとカバーする領域、ジャンルの広さも群を抜いている。それにあんな時代に海外へ何度も足を運び、欧米にとどまらず、中東・アフリカ・アジアまで、ほぼ当時として考えられる世界中を飛び回って、作品を残しているのには驚嘆せざるを得ない。

海外を目指したのは、一つには当時日本の洋画界を牛耳っていた黒田清輝とその一派への対抗心の現れもあったようだ。それに、タイミングも運も味方していたようだ。最初の渡航となったアメリカでは、当時まだ珍しかった日本人の描く作品がよく売れたようで、そこから滞在費や次の渡航費を捻出していたようだ。

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3度目の海外渡航を目指した時は、折悪しく第1次大戦となり、仕方なく国内での制作活動に絞ったのだが、それが好きだった山岳に向かったことは、その後の彼の絵画活動に決定的な影響を与えたようだ。ますます大自然に身を置く機会が増え、「自然を崇拝する側に立ちたい」と言わしめている。

後半、今度は当時版元として確固たる地位を築いていた渡邊庄三郎からの依頼で、版画の世界へ一歩を踏み出すことに。すると、魅了された吉田は、下絵を描くことには飽き足らず、彫り師、刷り師に厳しく注文をつけ、中には自ら、それらにも挑戦して、みるみる木版の世界でも頭角を現すのだった。

同じ版木を使って、色調を変えることで、昼夜、あるいは四季の違いを出す技術を習得、世に問うと反響は大きかった。生前のダイアナさんもすっかり虜になり、自室の壁に飾っていたのは有名な話である。

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このスフィンクスも、色調を変えて、夜景の作品もある。

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全部で181点で、そのうち66点が前期と後期で入れ替わるらしい。

前期は今月30日まで。後期は8月1日から27日まで。前期の入場券を持っていくと、割引してくるので、捨ててはいけません。

第12回二期会研究会駅伝コンサート@東京文化会館(小)

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久々(多分、6年ぶり)に長丁場のコンサートへ。今回は、冒頭のオペレッタ研究会から英語の歌研究会までを聞いた。途中出入り自由で、特定の研究会だけにマトを絞って聞きに来ている聴衆、少なからず。

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余計なことだが、研究会が入れ替わる時に、何も場内を真っ暗闇にする必要はないと思うのだが。あれでは、途中入場者が手探りで、空席を探すのに手間取り、ろくなことはない。ついでながら、演奏中も、もう少し照度をあげてくれないと、せっかく立派なプログラムを読むことができない。そのあたり、以前も感じたが、なぜかホール側も頑なだ。何かそうできない理由があるかも知れない。

冒頭のオペレッタ研究会の演唱が素晴らしかったので、その後の各研究会の熱演もやや霞んだほど、というのはやや大げさだが、それほどインパクトが強かった。一糸乱れず歌ったり踊ったり、コスチュームも美しいし、よほど稽古を積んだと思われる。その中に、以前は度々聞いていたのだが、その後渡米されて、やや疎遠になっていたソプラノの宗田舞子を発見、休憩時間にオペレッタ研究会のブースを訪ねて、再会を果たした。

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オペレッタ研究会の皆さん。これは後半の衣装。前半は全員がオーストリアの民族衣装だった。

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素敵な民族衣装の宗田舞子。(いずれの写真も宗田さんから拝借しました)

スペイン歌曲研究会は、常連の塩田美奈子に期待したが、やはり杉並のパリアッチでやりくりがつかなかった様子で、登場されず、残念!

そのほか、存在感を示されたのは、ロシア・東欧オペラ研究会の橋爪ゆか、一押しコーナーの成田伊美、など。

イタリア歌曲研究会も、ベテランテノール行天祥晃を軸に、馴染み深いナポリ民謡などを次々に披露、見事なまとまりを見せ、聴衆を魅了していた。

#35  (文中敬称略)

「カヴァレリア・ルスティカーナ」、「道化師」@杉並公会堂大ホール

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定番ヴェリズモオペラの2本立て公演。前から12列目だが、4列分、オケが平土間を占有しているから、実際には8列目と言う、至極見やすいポジション。オケピットがない悲しさで、これだとオケの音が結構鳴るから、時折舞台で歌う歌手の声がかき消されることも起きる。

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P席を舞台の一部にする方式は珍しくないが、今回、舞台から斜めに階段を作り、上りきった踊り場を教会の入口にする設定で、これが両舞台ともに大いに生きる結果となったのは喜ばしい。ただ、演じ手は、段差のあるところを上り下りするわけで、エネルギーの消耗もハンパではなかったろう。

 

岩田演出は、すでに何度も見ており、まったく違和感は感じなかったが、特に昔からの高齢のオペラファンには、正統派の舞台を見慣れているだけに、批判的な見方をする人もいない訳ではない。

 

舞台の中央に大きな十字架が一本、周囲に大小の十字架が重なり合っていて、中に朱塗りの一本が置かれている。これは2年ほど前に、同じ岩田演出で箪笥町ホールでの舞台と似た設定。今回、目についたのは、そこから太い真っ赤なロープが真上に伸びていることで、カヴァレリアもパリアッチにも同じ装置をそのまま使っていて、登場人物が苦境に立たされたりすると、このロープに触れたり縋ったりしているから、天に通じる願掛け綱のような位置付けなのか。

 

このロープに見向きもしなかったのが、カヴァレリアのアルフィオで、サントゥッツァからトリッドゥとローラが密会を重ねていると知らされ、憤怒の形相物凄く、片っ端から十字架を蹴り出し、投げ捨て、大きな十字架まで根こそぎにしただけでなく、最後は意味ありげな赤い十字架を膝でへし折ると言う狼藉ぶり。このシーンは見応えがあった。

 

サントゥッツァが冒頭から舞台所狭しとばかり手前、奥、上手、下手と走りまくるのだが、ちょっと意図を図りかねた。そういえば、以前も同じ演出を見たことがあるが、それがやはり箪笥町ホールだったかも知れない。その時もそんな感慨を持った。散々走り回された小泉詠子、愚亭は初めて聞いたが、しっとりとした高音が特に耳に残った。

 

高田トリッドゥも、雰囲気的によく合っていたと思う。古い因習が強く残るシチリアの小さな村社会、他人の女房と昵懇になればたちまち町中の噂になる土地柄、いくら女たらしとは言え、これで身を滅ぼすことになるのは、あまりに頭が悪すぎ。

 

パリアッチの演出も素晴らしかった。コスチュームも冴えていたし、特に最後のシーンは、真っ赤なドレスのコロンビーナ(ネッダ)、白とグリーンのパリアッチョ(カニオ)、グリーンのテーブルクロスなど、イタリアン・トリコローレを意識したかのようなカラースキームは目に楽しかった。

 

日本語版はいいとして、「衣装をつけろ」は、普段からVesti la giubba聞き慣れているし、歌う青栁カニオもさぞ大変だったろう。こう言う名曲中の名曲はイタリア語で長年刷り込みができているだけに、日本語歌唱は歌手泣かせだ。カニオの、ややオーバーとも言えるこの慟哭シーン、見事の一言。場内から待ちきれずブラーヴォが飛び交った。

 

ネッダ役の塩田美奈子、いつもながらチャーミングで品がある。歌唱こそ、全盛期には届かないかも知れないが、存在感はピカイチ。コロンビーナのおかしさもたっぷり表現していて、言うことなし!

 

トニオに扮した武田直之、今回はなかなか美味しい役どころだったようで、拍手も結構来ていた。ケチをつける意図は、まったくないのだが、前口上では、もう少し低音を響かせて欲しかった。とは、言えこの歌、バリトンにはきついかなりの高音も出てくるから、これはないものねだりのようなものかも。

 

オケも合唱も立派だったし、特に子供達の歌も演技も可愛らしいもので、よほどの練習を重ねたことが窺われた。

 

演出にケチをつける気はないのだが、カヴァレリアでのお祭りシーンで、紙コップが使われているのには驚かされた。せめてプラスティックでもいいから、透明なものにして欲しかった。ついでに、ワインが泡立ってとかいう日本語歌詞、シチリアでスパークリングワインは、あまり聞いたことがないのだが・・・。ま、どうでもいいことだが。

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パリアッチのカーテンコール(フェイスブックから拝借しました)

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青栁カニオ。メイクはジョーカー。

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塩田コロンビーナ(ネッダ)。妖艶さと可愛らしさが同居するところが、持ち味。

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(総監督、演出、主要キャスト陣、facebookからお借りしました)

 

#34 (文中敬称略)

 

第53回日伊声楽コンコルソ@東京文化会館小ホールへ

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10人が残った本選を聞きに東京文化会館小ホールへ。

 

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愚亭が存じ上げている歌手は数名。ほとんどの方は初めて聞かせていただく。それぞれ3曲ずつ、概ね15分ほどで、10名、途中20分の休憩が入るから、2時開演で、終わったのが5時ちょっと前。そして審査中に、ミニコンサートが組まれていて、今回は17歳のヴァイオリニスト、森山まひるシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調。あまりこれまで聞いたことのない作品。30分を超える曲で、しかもかなりのテクニックを要する難曲だと思った。のびのびと弾きまくって、大喝采。17歳にしては、やや幼さの残る、可愛らしい姿。比較は無意味なれど、あの15歳の棋士藤井聡太くんがどれだけ大人びていたかということだろう。話が逸れた。

さて、コンクールだが、前半最後の二人のテノールは、どちらもよく知っていて、応援していたが、果たして大賞を取れるのだろうか。特に小笠原一規は選曲ミスでは?と思われるほど、低い曲を最初に持ってきて、彼の輝かしい高音を封印しているかのような印象。

澤崎一了(かずあき)は、馬力のある高音を次々に繰り出し、これでもかというほどの歌いっぷりで、場内からのブラーヴォが凄かった。ただ、やや一本調子の観は免れない。

後半、2番目に登場した別府美紗子、のっけから華やいだ雰囲気で歌い上げ、審査員の印象もきっと悪くないはずと期待したが。

9番目に登場した工藤和真、登場するなり、オーラのようなものを感じて、こりゃやりそうだという予感。なんとなくホセ・クーラを彷彿とさせるような雰囲気がある。果たせるかな、まあうまい!!こんな新人、今までどこで何をしていたんだろう。この時点で、彼の入賞は間違いないと踏んだ。強弱のつけかたや、間の取り方、バランス、ヴォイスコントロール、完璧なまでに見事だ!さらに、彼の自然な振りは、日本人ではないかの印象を与えた。とにかく声に凄まじい深みを感じたし、そこに嫌味もなければ、わざとらしさも何にもなし。

最後に登場した糸数 知(ちか)もうまかった。ひょっとして、工藤と争うのかと思わせたほどだったのだが、所詮は素人の耳、審査員は違った評価をしたようだ。

ということで、結果は、

第1位 テノール 工藤和真

第2位 テノール 澤﨑一了

第3位 ソプラノ 内田千陽

歌曲賞 工藤和真

五十嵐喜芳賞 澤﨑一了

第1位が一体どれだけ凄いかと言うと、次々に賞状授賞者が登場して、10枚以上の賞状と副賞をもらったようだ。

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挨拶する工藤和真。感涙にむせんでいる。そりゃそうだろう、こんな場で、これだけ表彰されるんだから。

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ひょっとしたら自分も、と思ったであろう入賞者。無念の表情、諦観の表情、やり遂げた充足感の表情、いろいろ。

主催者発表では、今回の応募者は131名に上るとか。内訳は、

ソプラノ     79

メゾソプラノ    7

アルト       8 

バリトン       23

バス・バリトン 2

バス      1

その中から本選に出られただけでも、これは凄いことなのだ。そのことをどうか入賞者も肝に銘じてほしいと思った。

講評の中で、高 丈二審査員長が「発声と言葉との関係が大事だ。聴衆に言葉が通じなければ、意味がないし、発声のいい人ほど、言葉も明瞭である。大きな声を張り上げすぎないように・・・・」などが印象に残った。

審査員、賞・賞金・賞品、過去第一位受賞者一覧

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そう言えば、8番目の内田千陽の演奏中(16:20 C.A.)に、グラっと来て、一瞬場内がざわついた。後から知ったが、千葉北西部を震源とする地震で、東京は震度1ぐらいだったようだ。もし震度3以上だったら、演奏中断になっていたかも知れないし、この程度で済んで幸いだった。

#33   (文中敬称略)

「甘き人生」

170719 原題:FAI BEI SOGNI (いい夢を見るのよ!)伊仏合作 130分 脚本・監督:マルコ・ベロッキオマッシモ・グラメッリーニの自伝的小説を映画化したもの。

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1969年のトリノと90年代のローマが何度か交錯する。主人公のマッシモは、9歳の時、突如最愛の母が姿を消す。周囲の大人に聞いても誰も心臓病による急死としか教えてくれない。あんなに元気だった母が亡くなるはずはないと言い張り、マッシモには、どこか遠くできっと生きていると自分を納得させるしかない。

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当時放映されていたフランス製スリラー「ベルフェゴールは誰だ」を恐る恐る母と見ていたのを、その後も何度もトラウマのように思い出す。

今は、ローマの新聞「スタンパ」の新聞記者として依然、マンマ・ロスを抱えたままひっそり生きている。

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トリノFCのサッカースタジアムがアパートの目の前にあったことで、父親はよく試合に連れて行ってくれたものだった。その父も母の死については、語らないまま、若い女性と一緒になり、その後、全財産をマッシモに譲って亡くなった。(父親を演じたグイド・カプリーノは、成人したマッシモの前にも登場するが、実年齢で、一つ年下だから、ややリアリティに欠けるのは仕方ない。)

残された遺産整理で、収拾がつかなくなり、深夜にもかかわらず、叔母を電話で呼び出す。整理の手伝いは口実で、母親の死をどうしても叔母に確認しておきたかったのだ。観念した叔母は、書棚から古い新聞記事の切り抜きを探し出してマッシモに見せる。いつか自分で知ることになるから、敢えて何も言わなかったと言い訳しつつ。恐れていた通り、カトリックでは禁じられている自死だった。覚悟はしていたが、衝撃を覚える。

伏線として、家にあったナポレオン(この一家は王党派で、ナポレオンを崇拝していた家柄か、やたらにナポレオンの像や絵がある)を9歳のマッシモが窓から落とすシーンや、テレビドラマ「ベルフェゴールは誰だ」で、窓から飛び降りるシーン、エリーザがプールで高飛び込みをする場面など、暗示する場面、少なからず。

その後、コソボ紛争の取材でサラエヴォに仲間のフォトジャーナリストと最前線へ。そこで見た凄惨なシーンに、パニック障害を引き起こすマッシモ、帰国してたまたま行ったローマの病院の女医エリーザ(ベレニス・ベジョ)に母親の面影を見る。

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彼女の親戚主催のパーティーに呼ばれたマッシモ、尻込みしながらも、ダンスを始めると、9歳の時に母と踊りまくった情景が蘇り、いつのまにか輪の中心で踊り狂っている自分に呆然とする。

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まあ、言って見ればマザコンの情けない中年男が、やっと生きていける自信のようなものにたどり着いたような幕切れ。時代感覚の描写が得意な監督だけに、うまく映画化できたのかも知れない。

主演のヴァレーリオ・マスタンドレア、こういう影のある暗い役を演じさせると、右に出る者がいないほど巧みである。アルゼンチン出身(フランス国籍)のベレニス・ベジョ(ベホ)は、何度も書くが、色浅黒く、特別美人でもないのだが、目力と存在感はたっぷり。不思議な女優だ。

劇中に何度も登場するテレビ映像の「ベルフェゴールは誰だ」は64年、フランス国営テレビが制作、65年にはテレビ朝日で日本でも放映されて、自分も見ていた。シャンソン歌手のジュリエット・グレコが出ていたことをよく覚えている。

ところで、この邦題は残念ながらいただけない。いい歳をして、何やってんだと主人公を揶揄しているのだろうか。

#48 画像はIMDbから