ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

ちょっと気になる

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最近、テレビ・ラジオで違和感を覚える言葉の使用法で、とりわけしっくりしないのが、以下。

 

暗雲が立ち込めるが立ち込めるはわかるけど、なら垂れ込めると言って欲しい。案外、普通にアナウンサーやコメンテーターが口にしている。

汚名挽回。これは民放の某ベテランキャスターが最近口にして、びっくり仰天!汚名を挽回してどうすんの!挽回するのは名誉で、汚名は返上でしょう。汚名返上名誉挽回が中抜きになったのかな。

得点を与えません。野球やサッカーでこの言い回し、ひんぱんに使われるけど、得点は点を得ることだから、この場合は、単に点を与えませんでいいのにねぇ〜。なんで、こうなっちゃうんだろう。

今の現状。もちろん、重複表現で誤りだけど、気持ちは分かるし、つい使いたくなる言い回しだから、あまり咎め立てしたくはないですね。

まだまだこの種の表現の誤用は気になり出したらいくらでも出てきそうだけど、言葉はみんなが誤用し始めたら、もう誤用でなくなることはよくあることだけに、いちいち目くじらはたてたくないと思いつつ、つい・・・。

呑川沿いの散歩

200626 本格的な外出は来月からと決めているので、今日も自宅周辺のお散歩。呑川沿いに蒲田駅を往復。約3.3kmを35分ほど、合計3,000歩程度で、早足だと帰宅すると汗びっしょりとなる。

ついでだが、呑川は元々は”のみかわ”と発音していたようだが、現在は”のみがわ”と発音するのが一般的のようで、漢字変換も”のみかわ”でないとうまく出てこない。蒲田よりさらに下流方面へ向かうと川幅もずっと広くなり、映画「シン・ゴジラ」では、大人になる前のゴジラが上陸する場面に登場する二級河川

自分にとって呑川にはことさら縁があり、人生初購入物件が大田区石川町で、やはり呑川沿いであった。さらに、呑川の水源は世田谷区桜新町で、そこには小学校時代から所帯を構えるまで住んだ実家がある。現在の住所はだいぶ下流にあたるが、合わせると60年近くも呑川周辺在住者であり続けている。おそらくここが終の栖となるはずである。

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緑ヶ丘駅付近。1969年、この近くに所帯を構えた。

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現在住んでいる辺り。川幅はすこし広くなっている。この辺の桜並木も結構見応えあり。

蒲田駅前では、7月5日の都議補選候補者の街宣車が。見慣れた中央政界の顔が数人。

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映画館に行けなくて・・・

200623  3ヶ月近くも映画館に行けない事態になっている。仕方ないからネトフリ/アマプレでお茶を濁しているけど、来月に入ればいよいよ行けるかもと期待しているが、家人はそんな私に冷ややかだ。やはり映画とは映画館で観ないと、どうもしまりがなくていけない。

最近の映画配信て、音響も映像も飛躍的に進化しているから、まあまあ楽しめていて、文句言いつつも、過去収録していて、見る機会がなかったHDの作品も含め、連日数本の割合で観ているから、3ヶ月で膨大な作品数に上る。

そんな中で昨日は「愛と喝采の日々」を見た。以前、リアルタイムで見ているので、前半は飛ばして鑑賞。あの時はそれなりに感動もした記憶があるが、今見るとなんとも色あせて陳腐にさえ感じてしまう。バリシニコフの妙技には驚嘆するが、主役二人の大袈裟な演技にはいささかうんざりした次第。

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右側のアン・バンクロフトの役はオードリー・ヘップバーンもやりたったらしい。

ところで、「愛と・・・」というタイトルだが、ひとつの流行なのだろうが、ざっと記憶を辿っただけでも、

愛と青春の旅だち  AN OFFICER AND A GENTLEMAN

愛と喝采の日々   THE TURNING POINT

愛と哀しみの果て  OUT OF AFRICA

愛と哀しみのボレロ LES UNS ET LES AUTRES

と言う具合。検索すればまだ出てきそうだ。面白いのは、原題とはまったく無関係に邦題が作られていることだ。ま、それはよくあることで、かつては「慕情」、「旅情」、「哀愁」、「悲愁」etc.など二文字邦題が頻出した時代もあったし、それらも原題とはいずれも無縁の内容で、ファンへの訴求力を一番に打ち出した結果なのだろう。

そこへ行くと最近の洋画の邦題は、原題をそのままカタカナにするような安易な方向に流れがちで、ちょっと面白くない。暇にまかせてそんなことを感じた次第。

調布国際音楽祭フィナーレを堪能

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最終日の最終演目はベートーベンの第九から第4楽章。これをなんと100人によるリモート演奏というから、コロナ禍でないととても思いつかないとんでもない演奏会である。しかも演奏家たちは国内だけでなく、遠くヨーロッパからも参加しており、場所も時間もばらばらの100演奏家の演奏シーンの映像・音響を一つに忠実にまとめるということは、想像をはるかに超える高い技術を求められるはずで、興味しんしんで画面を見守った。

当然ながら、このフィナーレだけは生配信は無理であり、予めヴィデオに収録したものを配信したのだが、その出来栄えたるや、驚嘆の一言。画像も音もまったくずれることもなく、同じ時空での演奏とまったく異なることがなく、なぜこんなことが可能なのか、素人には到底理解不能

普段はバロック音楽を中心に演奏しているバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーたちが第九を演奏すること自体、かなり珍しいことと思う。しかも古楽器中心であることも、興味をさらに倍加させた。

今なら、アーカイブでも楽しめるので、聞き漏らした方はぜひトライしてもらいたい。⬇︎

at.chofumusicfestival.com

なお、演奏前に行われた中心メンバー3人(鈴木雅明、鈴木優人、森下唯)によるトークがまた実に楽しく、また興味深いものであったことも付け加えておきたい。(なんで、この人たち、こんなに喋りがうまいのか、それにも驚かされた)

(文中敬称略)  

生配信、続々!

200620  先日来、生配信音楽会を聞きまくっている。聴く方もすっかり慣れ親しめるようになってきた。今は調布国際音楽祭2020を連続で聞いている。

鈴木雅明オルガニストチェンバリストバッハ・コレギウム・ジャパン主宰者)を中心とする集団が企画・構成・運営などをしているこのフェスティヴァル、最終日の21(日)にはベートーベン・イヤーに因んで、第九全曲を演奏する。

弟の鈴木秀美のチェロも凄かったし、統括的な役割を果たしている長男で、作曲家・ピアニスト・チェンバリスト鈴木優人も自らの演奏以外に見事な進行役を発揮して、存在感を示している。ちなみに秀美の妻はソプラノの鈴木美登里という、とんでもないバロック一族なのだ。

今回、もっとも人気を呼んだのはどうやらバリトン歌手、加耒 徹だったような印象だ。ライブの書き込みや「投げ銭」で、画面横の欄外は大変な混みようだったのがそれを物語る。ドイツ歌曲中心の構成だったが、深く沈んだ低音部から明るい高音域までをくまなくカバーし、見事な演唱だった。彼はどちらかと言えば、きゃしゃでチャーミングな容姿で、そこからはちょっと想像しにくいような低音を響かせる。オペラよりはやはり宗教曲や歌曲に秀でているようだ。

コロナ禍でなければ、はるばる調布まで出かけて行って、入場料を払っているはずであり、それが、家でビール飲みながら(ちょっと失礼かな?)楽しめるなんて、生配信を今回はっきりとありがたいと認識した次第。

(文中敬称略)