ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

ブラックリスト シーズン8

220428 やっとシーズン8の配信が始まり、さっそく見ましたが、これが事実上の最終章でしょう。なぜなら、準主役の彼女がこのシーズンで消えますから。シーズン9がすでに完成しているようですが、彼女がいない新シーズン、たとえ主役のレイモンド・レディントン(ジェームス・スペイダー)が大活躍するにしても、見る気が失せるかと気掛かりです。

エリザベス・キーン(メーガン・ブーン)の最終章

とりたててべっぴんさんじゃないですけど、やはり8シーズン(22話 X 8 = 176話)に亘って見慣れた存在ですから、知らず知らず相当感情移入しちゃいますからねぇ。

このシーズンで、彼女の出生の秘密や周辺人物の相関関係がほぼ明らかにされます。ただし、肝心のレディントンの正体はまだ明らかにされません。明らかにして「完」ということでしょう。

我ながら、こんな長いドラマを見続けたものと呆れます。それだけ、まあよく出来ていたと言えます。

稀代の犯罪者レディントン、それを追うFBI、持ちつ持たれつで迷宮入りに近い凶悪事件を次々に解決。FBI所属のエリザベス・キーンとはひょっとすると父娘関係かと匂わせつつ、よくこれだけ引っ張ったものと感心します。シーズン9でいよいよそれが明かされるのでしょう。日本での配信開始はこの夏のようです。

プッチーニの初期オペラ「エドガール」by 東京二期会@オーチャードホール

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プッチーニの2作目のオペラです。(ちなみに、デビュー作は「妖精ヴィッリ」)二期会としての初演ですが、2006年に市川オペラが初演しているようです。ま、滅多に見ることのできないと言う意味での価値は大ありでした。公演自体も成功だったと思います。見事な舞台でしたし、オケも歌手も秀逸でした。

ただ、作品としては、面白いものではありませんで、主催者、出演者はいろいろと賛辞を惜しみませんが、一聴衆としては、「うううむ!」ってなとこでしょうか。1889年にミラノ・スカラ座で初演されたのですが、案の定、散々不評で、作品の依頼主リコルディ社は台本作者と作曲家に作り直しを依頼。筋立てがパッとしない上にやたらに長いっていうんで、4幕➡︎3幕など、改訂版を出すことに。結局、「マノン・レスコー」、「ラ・ボエーム」、「トスカ」、「蝶々夫人」の後に改訂版上演(1905)ということで、厳密には第2作目とは言えないのかも知れません。

原作がミュッセというのも面白いですねぇ。「杯と唇」(La coupe et les lèvres)という韻文詩劇(Dramaticpoem)だそうです。こんなのがオペラになっちゃうんだから、愉快です。

まずストーリーがぐちゃぐちゃで、まあ破綻していると言っていいでしょう。舞台をチロルからフランドルに移したのはいいとして、史実としては実際にあったことらしいですが、訴えるものが少ないし、台本がやはり不出来としか思えません。

主催者は「アッという間の2時間!音楽の濃密さは他のプッチーニ作品に勝るとも劣らない、後に続く名作を彷彿、ドラマティックなメロディーも素晴らしいが、初期の作品らしさが感じられるところが新鮮!」と賛辞を惜しみませんし、出演者の中にも食事に例えればメインの肉料理が続くようだ、という声もあったようです。

音楽的には、確かに随所にちらっとプッチーニを思わせる箇所がなくはないですが、殊更印象に残るメロディーも少ないように愚亭のような素人には思えてしまいました。

今回はセミステージ形式ということで、演技はありましたが、舞台装置はなく、コスチュームも最低限でした。オケが舞台中央に陣取り、手前のスペースでソリスト陣が歌い、奥に合唱団が紗幕の後ろで歌うというスタイルでした。

このコンチェルタンテというのは、本来”協奏曲的な”という形容詞ですが、オペラの場合は今回のような演奏会形式として使われるそうです。上のチラシにも説明があるように東京二期会としては、この会場を使って過去にも何度かこの形式の上演をしていて、一定の評価が得られている印象です。

今回、ソリストは5人と絞られた数で、それぞれ見事な演唱で心から喝采を送りたいです。テノールとソプラノは当然としてメゾとバリトンの出番が少なくなかったのが印象に残りました。合唱団は今回はマスクなしでよく頑張っていましたし、司式手伝いの侍者(少年)たちが可愛らしく、仕草も歌唱もよく練習した様子が窺えました。

紗幕と言えば、そこにさまざまな映像(ゴッホの作品をうまく利用して)を映し出すのですが、これが実に効果的だったのと、照明も見事でした。

アンドレア・バッティストーニは完璧に全体を把握しており暗譜、さらに歌詞もほぼ頭に入っているようで、手前のソリストたちへのピンポイントの目配りも見事でした。

合唱団はマスクなしでしたが、オケは弦楽プレイヤーがまだマスクしている人が少なくなかったです。それと、マエストロがコンマスと肘ではなく普通に握手していたのがとても新鮮に映りました。

多分、二度と鑑賞することもないし、そもそも公演されないでしょうから、その意味では貴重な体験ができました。今日は券面では10列目と記載されてましたが、実際には3列目で、オペラグラス不要でした。

演出家対談@日本生命本社ビル

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午前中、合唱練習と団の総会をやり、午後はこのイベントに参加。自宅から午前中は南馬込、午後から夕方にかけては西馬込とを往復したので、今日の歩数は13,000歩弱でした。さすがに消耗しました。でも、無理してこのイベントに参加してよかったです。滅多に聞けない話をいっぱい聞けましたから。

ただ、周囲を見渡すと、歌手とか指揮者、プロデューサーばかりで、どうも愚亭のような素人はごく少数のように見えました。

岩田さんは、愚亭と同じ大学のフランス語の出身、粟国さんは東京生まれでもローマ育ちですから、ローマっ子という感じ。ちなみに、だいぶ以前に亡くなられたお父様、粟国安彦さんのことは50年以上前になぜかローマでお会いした記憶がかすかにあります。親子二代、オペラ演出家というのも、日本では珍しいのではないでしょうか。

コジ・ファン・トゥッテセヴィリアの理髪師について、二人で意見を交換されたわけですが、オペラ全般にわたって深い知識に裏打ちされたトークだけに、大いに興味を惹かれ通した2時間でした。

こういう詳細な裏話を聞くと、演目に対する興味が倍加します。とりわけコジは、モーツァルトのオペラ作品の中でも苦手の部類だけに、今後は見に行く機会が増えそうです。

粟国さんが、イタリア人について語る時、ほぼ同胞というふうに話されるのが、かなり可笑しかったです。イタリア人の特性のほんの一部でしょうが、紹介するために1950年代、つまり粟国さんが幼少時に見たと思われる映画を会場で見せたわけですが、パソコンの不具合か映像は出るものの音声が入らず、しばらく待ったあと、ご自分で活弁よろしく画面の動きに合わせて日本語で”演じた”のですが、これがあまりにも見事で、場内、爆笑と喝采でした。

コジは、気の利いたアリアがほとんどなく、好きになれないオペラの代表作ですが、重唱がやけに多いので、そういうところにもっと重点を置いて鑑賞すれば、自然に感興も湧くのかなと思いました。

男女4人の恋人2カップルが相手を交換して、女の方の忠節度を試すような、今考えればかなり”野蛮”とも言える筋立てですが、岩田さんによると、実際に起きたスキャンダルをネタにして台本が作られたとか。かなりの驚きです。

メンデルスゾーンV協(前橋汀子)と「新世界より」(コバケンw/東響)

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満員でした。V協だからできるだけ前でということで、1階2列目の中央でしたので、手を伸ばせば届く距離に前橋さんもコバケンさんも。ヴァイオリンのソロはこの距離で聞いて愚亭にはちょうどよい感じなんです。もちろんシンフォニーは2階席の方がいいんですが、今日は前橋汀子さんに敬意を表して、1階C2-17という席を買っていました。

前橋さんを生で聴いたのは、記憶にないほど遠い昔なので、今日目の当たりにして、かなり驚きました。ま、細かいことはコメントしませんが、演奏はやはりというか当然枯れていてたのですが、細かいテクニックはさすがでした。それにこんなに小柄だったかな、というほどでしたが、オーラがびんびん伝わってきました。多分、この名曲は何百回と弾かれているはずです。

それと終演後の仕草がなんとも堂々としてチャーミングでした。演奏活動60周年というのですから、大したもんです。コバケンさんもしきりにアイコンタクトで敬意を表しているように見えました。ただ、弓の張り具合と肩当て器のゆるみが気になるらしく、演奏中もなんどかチェックしたり調整していたので、聴衆側もその所作が気になった次第。

20分の休憩後、いよいよ愚亭が最も好きな曲の一つで、メロディーはすみずみまで身体に染み込んでいる感じの「新世界より」です。定年退職後、出かけたプラハでの投宿先が偶然ドボルジャーク博物館のすぐそばでしたから、もちろんすぐに訪問し、彼に関するさまざまな写真や資料類を興味津々で見てきました。

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この川井真由美さん、ちょうど真正面に見えてました。この記事の内容を読んで、動きも注視していました。今日はチェロを中心に聞いていた感じです。なるほど、中で実際に演奏している方々って、こんなことを感じているんだなと、これまた目から鱗で聞いていました。

開演前にセットされている楽団員たちの椅子を見ていたら、コンマスチェリスト全員は座面の上下可変の椅子なのは当然として、なぜかセカンド・ヴァイオリンのトップと2番もが同じ椅子をあてがわれていました。ところが、上手側のヴィオラの首席と2番は普通の椅子なのです。なんなの、この差は?第2楽章終演部で、弦の首席奏者たちだけの演奏になるのですが、ヴィオラの1、2番も加わっていますから、理由不明で、ちょっと不得要領のまま。

それと第1楽章で、フルートが有名な旋律を吹いてその後、同じ旋律がヴィオリンに移るのですが、その部分は大きくタメを作ってゆったりと弾いていたのが印象的でした。あとは、上の記事にもありますが、コンバスのピッツィカートが気持ちよかったです。

ともあれ万雷の拍手鳴り止まず、「BRAVO」や「いいね!」の垂れ幕が出たりで、コバケンさんもかなり感動されていた様子。「特にアンコールは用意していませんが」と断った上で、終演部のみ再演してアンコールにされていました。感動的な演奏で、思わずウルウル。聴衆に対しても律儀というのでしょうか、団員全員で四方八方にお辞儀されて、こちらが面映く感じたほどでした。

「フォー・ライフ」@Netflix

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評判がよさそうなので、見始めたのですが・・・途中でなんどかやめようと思いつつ、最後まで見てよかったです。まあまあの作品で、ぜひ!というほどではありません。

これもまた実話に基づいたフィクションということです。原作者は、実際に無実の罪(はめられて)で無期懲役判決となり、収監中に自分自身で自由を勝ち取るほかなしと判断。猛勉強の末、みごと弁護士資格を獲得。ついに9年後に自由の身となり、愛する家族の元へ。

これでめだたしメデタシなのですが、収監中に、孫ができたり、親友が妻と恋仲になるなど・・・。結局、この”親友”は去るのですが、夫婦の感情はしばらくぎくしゃく、一時は別居するなど、自由になってからの不自由さを味わうのです。

その後、弁護士としての活動を本格化、仲間にも恵まれ嘗て獄中にあった囚人たちの弁護を何人も引き受け、かなりの人数の釈放に成功して、すぐれた弁護士として知られた存在になっていきます。

終盤、コロナに見舞われたり、black lives matter(”ジョージ・フロイド事件”が発端となった社会的うねり 「黒人の命も大切だ!」)のことを取り入れたり、まさに今のアメリカの様子が反映された内容になっています。

ただ、のめり込めなかった1番の理由は、この主人公の性格というか人となりですかね。意志の硬さは人一倍としても、どこか上から目線で、ひとりよがりで溶け込めにくいんです。演じた俳優なのか、そもそも本人がそうなのか、その辺は想像するしかありませんが。もう少し魅力ある人物に描かれていれば、さらに人気が出たのではないでしょうか。