150225
久しぶりに国立近代美術館へ。高松次郎(1936-98)の回顧展。極めて哲学的、かつ数学的な作品が並ぶ会場は、かなり普通の絵画展とは異なる。実際、絵画は少数しか残さなかったのだから、彼の中でのアートは、ちょっと違うんだなぁ、これが。
構成は、
1. 「点」、たとえば、一つの迷宮事件 1960-1963
2. 標的は決してその姿をあらわさない 1964-1970s
3.それは「絵画」ではなかった 1970s-1998
入口を入るといきなり、こんなオブジェ風の作品が。
光源の前に板を立てかけて、光の照射具合というか、影を造っている。その仕掛けを表したメモも展示されている。
光源を複数にしたり、光源からの距離で、影がどう変わるかを見るインスタレーション。この辺は撮影が可能なので、何枚か撮影してきた。
⬆︎これが自分の影。
天井に吊るした椅子と、その造る影。
これ以降は、撮影すべて禁止。
70年代後半、絵画に回帰するが、彼にとっての絵画はこのようなものだった。
「遠近法の椅子とテーブル」
彼は頭の中で常にアートとは何かの模索を続け、実験を繰り返していた。閃く都度、なにかをメモに書き留め、あるものは物理的な形をとり、作品群に。あるものはそのまま、メモで終わった。
同じフロアで開催中の写真展、「奈良原一高 王国」も覗いてきた。王国は第1部「沈黙の園」、第2部「壁の中」の構成。一部では、北海道のトラピスト修道院の中での修道僧たちの生活ぶり、第2部では和歌山にある女性刑務所の日常風景を捉えた作品の展示。
更に、毎度のことだが、4階に上がり、常設の作品を見て回った。中に、最近購入したと言うセザンヌの作品があって、驚いた。
いつものセザンヌらしからぬ色調で、しかも相当大きな作品。
フジタの「アッツ島玉砕」や「サイパン島玉砕」、「ハルハ河沿いの戦闘」などの大作や和田三造の「南風」⬇︎などの他、優れた日本画も少なくないので、日を改めて、常設だけのためにゆっくり回ってみたいものだ。