ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

ゴッホ展 〜 巡りゆく日本の夢 〜

171122

f:id:grappatei:20171123113712p:plain

てっきり高齢者無料日と決めてかかっていて、入口で身分証明書(運転経歴証明書)を見せたら、「んで、入場券は?」。そうか、きょうは第3でなく第4水曜だった!手帳への記入ミスだが、こんなことはこれまでなかったので、柄にもなく狼狽。並んだことのないチケット売場へ。偶には入場料ぐらい払わないと、都に申し訳ないか。それでも千円はお得感たっぷり。国立だと@¥1,600ぐらいだろう。

さて、ゴッホの作品はこれまでも入れ替わり立ち替わり何度も来日しているから、珍しくもないのだが、今回の切り口はゴッホと日本とのつながりに焦点を当てたもの。

ゴッホは、当時フランスへ多数入って来た浮世絵、版画、錦絵などにすっかり魅了され、日本を恋い焦がれ、日本と気候風土がそっくりという勝手な思い込みでアルルへ行って、制作活動にに没入していく。

その過程で、画家村を夢見て、いやがるゴーギャンを呼び寄せるも、果たせるかな短期間で破綻、耳切事件などを経て、結局夢破れて、パリ郊外のオーヴェール・シュル・オワーズ村へ。

1890年、37歳で没するが、もうちょい長生きしていたら、当時、続々と日本からパリへ行った黒田清輝はじめ、多くの日本人西洋画家たちをあっていたはずで、そうすれば、憧れの日本行きも実現した可能性、大ありだ。

f:id:grappatei:20171123115948p:plain

ゴッホがなくなったのは、このラブー軒の2階である。今もカフェ、レストラン、旅籠として営業している。愚亭も大昔、一度行ったことがあるが、亡くなった小部屋は質素そのものだった。

彼が日本を愛したように、日本、日本人もゴッホには特別な思い入れがあった。死後、早くも日本から文人墨客が次々にこの村を訪問、その証となる芳名録、写真、その他多くの貴重な文献が展示され、中には当時(昭和2年)としては大変珍しい16mmフィルムまで上映されている。

今回の展示品目数は181点に及ぶが、ゴッホの油彩画は30点あまり、ほかはこれら文献、エッチング、同時代の画家の作品群で占められている。

章立ては、

1 パリ 浮世絵との出逢い

2 アルル 日本の夢

3 深まるジャポニズム

4 自然の中へ 遠ざかる日本の夢

5 日本人のファン・ゴッホ巡礼

f:id:grappatei:20171123120816p:plain

右側の看板は、明治初期に設立された半官半民の貿易会社のパリ支店に当時無名のゴッホが来店した際、掲げられていた、嬉野茶の茶箱に書かれた社名の入ったもの。これが写っている写真が会場に展示されている。いかなる経緯からか、ゴッホはこれを貰い受け、その裏に「三冊の小説」というタイトルの作品を残している。面白い話だ。

f:id:grappatei:20171123122243p:plain

一年中、陽光が燦々と照らす国、それが日本と思い込んでいたゴッホ。日本と同じ風土のアルルの郊外でも雪が降る。すると、日本は雪景色もこんなに明るいではないかと喜んだらしい。

f:id:grappatei:20171123122448p:plain

今回の展示作の中で、最もインパクトのあった作品。アルルからローヌ川を少し遡ったところにある町、タラスコン。なんとなく響がスペイン風だ。南仏の強烈の陽の光を受けた馬車が、凄い筆致で描かれている。背景の青空の色がまたいい。

f:id:grappatei:20171123123254p:plain

f:id:grappatei:20171123123318p:plain

左側はオーヴェールの教会として、ゴッホの作品の中でもお馴染みの教会。佐伯祐三が描いていたとは知らなかった。佐伯が描くと、まったく違う雰囲気になってしまう。右側のゴッホ兄弟の墓は、オーヴェールを訪れる人が必ず詣でる。ひまわりが添えられているが、南向きで終日燦々と陽のあたる場所で、兄弟仲良く眠っている。

平日の午後4時頃の入館だったので、比較的ゆったりと鑑賞できたのは幸いだった。

f:id:grappatei:20171123123800j:plain

例の桜並木がこんな風に桜色にイリュミネーションが施されているのは知らなかった。

上の画像の多くは、都美術館のHPから借用いたしました。ゴッホ展 巡りゆく日本の夢