190401 135分 ROMA メキシコ 製作・脚本・撮影・監督・編集:アルフォンソ・キュアロン(メキシコ人なので、Cuarónは、ロにアクセントのあるクアロンと発音するのが正しい。日本では、なぜかアメリカ風にキュアロンと表記するのが一般的)
2018年度のアカデミー監督賞、外国映画賞、撮影賞、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得。(ちなみにアカデミー作品賞は「グリーン・ブック」)
キュアロン監督の半自伝的作品。舞台は1971年のメキシコ・シティーにあるコロニア・ローマ地区。比較的裕福なメキシコ人家族の下で働くクレオという家政婦が主人公。
この冒頭シーン。ちょっと長いが秀逸である。乾いた床面らしき市松模様にクレジットが流れて行く。やがて水が表面を濡らし、次第に水流の量が増え、やがてそこに映った空を飛行機がゆっくり通り過ぎてゆく。ここは毎朝クレオが洗剤を撒いて飼い犬の糞を洗い流すパティオ兼車庫。
ある日、家の主人が女と蒸発。残されたソフィア夫人と4人の子供たち。一方、クレオ自身も男に騙された上、身ごもってしまう。男に去られた者同士、以前より深い絆で結ばれることに。
出先で激しいデモに巻き込まれ、車内で破水、渋滞の中やっと病院にたどり着くものの、結果は死産。
子供4人を連れてトゥスパン(カリブ海側)の海へ出かけるソフィアは、傷心のクレオを誘う。そこで溺れかけた幼子二人を、泳ぎを知らないクレオが救出することで、彼らと気持ちが一つに。この場面は実に秀逸で、映画史上に残りそうなほど。モノクロ画面だからこその効果もたっぷり。また、小さな物音や遠くの騒音を拾う音響も大きな効果をもたらしている。
帰路、幼な子を抱きながらクレオの目には昔の輝きが戻りかけている。
クレオはオアハカ(首都から800kmほど南)出身という設定で、人種的にはマヤ系と思われる。骨格がしっかりしている割に背が低く、浅黒い。性格的にはすこぶる従順温和であり、まさしく家政婦向き。
自伝的作品ということで、フェデリコ・フェッリーニの「アマルコルド」(1972)に共通する色彩があることを感じた。
#20 画像はIMDbから