ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「万華響」という和太鼓集団のエンタメ@オールタナティブシアター(有楽町)

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以前所属していた会社の子会社が主催するイベントに行ってきた。出演のDRAM TAOについては、まったく知識ゼロのまま出かけた。ちまたではかなり知られた存在らしい。

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女3人、男11人の若者たちが繰り広げる舞台はかなりの迫力があり、日本人はもとより外国人にも受けること、間違いないエンタメである。

大小さまざまな形の和太鼓を狂ったように打ち鳴らすだけでも、猛烈なエネルギーを感じるが、加えて、三味線、箏、笛などの和楽器での演奏、さらに刀や二つに折れる棒状の用具を振り回しながらの激しい乱舞、プラス、静寂と狂乱の音響と映像が舞台に厚みを加えて、なるほど、これなら宣伝次第で、相当いいところまで行ける予感。

とりわけ注目したのは、グリーンの発光体を身にまとってのパフォーマンス、イギリスのブルーマン・グループはふと思わせるものがあり、まだまだ伸び代があるので、さらなる進化を望みたいところだ。

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コシノ・ジュンコによるコスチュームが冴えていた。やはりこのデザイナー、ただものではない。

万華響というタイトルもうまい。万華鏡を思わせる映像が随所に用いられている。

#33

「響友第九」のオケ合わせ

180616 今月30日に本番を迎える響友第九(大田区ハイドン室内管弦楽団との共演)、今回、2度目のオケ合わせが池上会館で行われた。オケはやはり1週間前に比べると格段に上手になっていた。

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オケの楽団員も前回より増えているし、技術的にも進化しているから、合唱もがんばらねば。

今日はトラの中からテノールバリトン、さらに主催者側関係者の中からソプラノがソリストとして歌ってくれて、本番さながらに練習できたのは収穫。

当日の立ち位置どおりに歌ったが、周囲はあまり第九の経験がない方々が多く、こりゃいっそ自分がしっかりしないといけないなぁという感慨。

本番の会場は大田区アプリコ大ホール、午後2時から。

「魔笛」@日生劇場

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久しぶりにオペラを観に行った。今回も両組を観たいと思ってたが、現実にはこれがなかなか出来ない。決め手は、森谷真理、高橋絵理、そして梅津 碧

演出も無理がなくすっきりしていて、違和感、まったくなく、それでいて、従来のものとは異なる新味は感じることができた。

キャストでは、ほかに夜女を見事に歌いきった新進の中江早希の今後が楽しみだ。それにしても豪華なキャスティングで、武士Ⅱですでにベテランの域に近づいている北川辰彦を起用すると言う余裕。

パパゲーノの石野繁生は初めて聴かせてもらったが、存在感たっぷり。タミーノ役の西村 悟と森谷真理の組み合わせも、とてもフレッシュで観ていて気持ちの良いカップリングだった。

ザラストロのデニス・ビシュニャ、見応えはたっぷりだが、声にもう少し重みが加わると更によかったろう。

ベテランのテノール大川信之のモノスタトス、メイクもスタイルもかなり型破りで(つまりあまりモノスタトス風でない)、持ち前の表現力を駆使して出番はそれほど多くはない役どころだが、それなりの存在感を示したのではないか。

安定感たっぷりの合唱団、ヴィレッジ・シンガーズ、今回も歌唱だけでなく、演技力も期待通りの力量で、楽しませてくれて、大満足!

#32 文中敬称略

「Vision」

180613 監督・脚本・編集・プロデューサー:河瀬直美 題字も自分で書いている。多芸・多彩な人物!

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奈良の吉野が舞台である。うっそうとした森の中で、鹿狩りをする老人(田中泯)。銃を構え直した瞬間、目を大きく見開き、絶句。これがのちの伏線となる。

劇中語られるヴィジョンとは薬草ということで、それを探しにはるばるフランスからジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)が訪ねてくる。

自分を山守と位置づけ、森の中で一人暮らしをする智(永瀬正敏)の元へ、ジャンヌは通訳の花(美波)と半ば強引に入り込む。花が途中で帰ってしまうから、ジャンヌは英語が達者でも、こりゃ意思の疎通に事欠くかと思えば、智は実は英語ができるという設定。(ちょっとこの辺り、安易かなと思ったが)

二人の間で、かなり哲学的な話題が展開するのもいかにも唐突感は免れない。「見る、聴く、触れる、感じる、それがすべてだ」みたいなことを食事中に智がボソッとしゃべり、これに大いに共感するジャンヌ。そして、その晩、すぐに男女の中に、というのも、なんだかなぁー。

しかし、この辺までは、まあまあついて行けるのだが、この後、さまざまな人物が登場し始めると、見てる側はどんどん混乱していく。こんなセリフにも深い意味を持てせようとしてるのか。「死とは眠りの一部でしかない

智と近所づきあいで懇意にしているアキ(夏木マリ)は、いわばシャーマンのような存在らしく、いろいろ森について謎めいた言葉を智に投げかける。今から千年前に胞子が放たれ、次のチャンスが今到来していると言う。

どうやら解説によると古事記に基づいている話らしく、それを知らないと、監督が言わんとしていることの半分も分からない。これでは、興行的には結構厳しいと思わざるを得ないと、つい余計なことまで考えてしまった。

火、鹿、白い犬、などなど、隠喩としてさまざまな含意があることが、段々分かってはくるが・・・。

逆光、望遠撮影を多用した撮り方に工夫が凝らされていることと、景色の美しさには呆然とするような場面が少なくないので、そんな中で、独自の死生観、あるいは人間の輪廻のようなものを感じられれば、それでいいのかなとも思って、見終わった。

劇中、頻繁に出てくるトンネルは、あれは彼我の世界の接点なのだろう。それにしても、手の込んだ作品を作り上げたものよ。カンヌでは常連のこの監督、フランス人にどう評価されるか、興味津々。

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ビノシュ(54)はさすがの演技である。また夏木マリ(66)のすっぴんでの熱演にも感嘆あるのみ。こう言う役どころをやらせたら、天下一品だろう。彼女の日本人としては彫りの深い、立体的な顔がみごとにこの役にはまっている。

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#50 (画像はALLCINEMA on line)から

 

 

「人間・高山辰雄展」@世田谷美術館

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この美術館、建物自体も素晴らしいし、緑に囲まれた環境も絶佳なれど、アクセスが悪くて、なかなか足が向かない。ところが、最近同展を鑑賞した、船橋在住の姉から「隣の区に住んでいながら、なんなの、その言い草は!」とばかりに、強力に勧められ、バスの時刻表まで写メで送られては、さすがに見に行かない訳にも行かず、今日、それを実行。

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まあ、確かに、この展覧会、行ってなければ後で大いに悔やまれるところだった。それほど素晴らしいということ!

高山辰雄は、もちろん作品も多少は知っているつもりだったが、これほどとは、と言うのが正直なコメント。詳細▶︎高山辰雄展

今回は前後期合わせてだが、実に103点もが一堂に会する大回顧展。こんな機会は滅多に巡ってこないだろう。しかもほとんどが大作であるから、見応えたっぷり。

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砂丘」(1936) 砂丘の風紋の面白さに惹かれて描いた。寝そべる女性は後に辰雄の妻となる、友人の妹の友達だそうだ。砂丘と人物は別々に描いて、後で合わせたと自身が述べている。左側におかれたのはスケッチブック。表紙にCAHIER D'ESQUISSEと見える。人物画としても素晴らしいが、全体の構図といい、色調といい、唸らせる。24歳の作品とは思えない出来栄え。

年齢を重ねるにつれ、モノクロームに近い幽玄な作品に変化していくところがよく分かる。

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この「室内」(1952)という作品、一見してその影響を色濃く受けていることがはっきり見て取れるが、ゴーギャンに傾倒した時の作品らしい。その前に、自信をもって出品した作品が日展であえなく落選。意気消沈している時に、画家仲間か先輩からゴーギャンの良さを吹き込まれていたらしい。

この人の作風は、構図もさることながら、やはり前半の作品における色彩感覚がそれはすばらしい。後年は、前述の通り、どんどん枯れた作風に変化していき、それはそれでまた鑑賞する側を圧倒してやまない。

ところで、この人のサインだが、1950年の「赤い服の少女」に初めて辰雄という字を少しデザイン化したサインが登場、脇には落款が見える(なんという字が自分には不明)が、その後、サインは入れたり入れなかったり、気分次第なのか。後年は辰雄の字を別な形で崩したものが登場し、以後、それで通したようだ。

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「食べる」(1973)  この作品には左下にサインが見える。

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「星辰」(1983) 星辰とは星のことである。日月星辰を晩年はテーマのひとつに掲げていた。しかし、彼が終始興味を持ち続けたのは人間である。それゆえ、展覧会のタイトルにもわざわざ「人間・高山辰雄」としてある。子供、親と子を主題に取り上げた作品のなんと多いこと。

平日の午後とは言え、こんな素晴らしい展覧会なのに、館内は人影もまばら。おかげでゆっくりじっくり堪能でき、こんなありがたいことはない。今回ばかりは姉には感謝しかないなぁ。