ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ヴォツェック」METライビビューイング

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ついに見ることになった本作、実に驚きの舞台だった。ある程度の情報は事前にしっかり仕込んで行ったのだが、まさかこれほどとは!中でも驚くのは演出と装置!一言でカオス、混沌と荒廃に塗りつぶされた舞台と言っていい。細かい作り込みの装置と、高い映像技術が作り上げる、一種あり得ない世界。

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日本ではあまり知られてないかもしれないが、欧米では名うての実力派名歌手たち、合唱、ヤニック・ネゼ=セガン率いるオケの揃い踏みで、こんな奇跡のような舞台が生まれたのだろう。正直たまげた。これは表現不能で、この凄さは見てもらうしかない。ただ、音楽性については、やはり難解であり、正直、愚亭にもよく解らない。

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正直、ベルクの作品を見ることは、多分ないだろうと思っていたが、たまたま比較的近い映画館で上映されるという、まあ一種の僥倖で見ることになった次第。

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コロナが依然猛威を振るっている最中だし、どちらかと言えばマイナーなオペラ作品ゆえ、果たせるかな、館内はガラガラ。もったいないと思うが、これはどうしようもない。

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このシリーズでは最短の2時間弱で終演、いつもはランチ持ち込みで臨むのだが、休憩もないし、いつもの幕間インタビューも終演後という、初の事態。インタビュアー(次回作「ポーギーとベス」で主役を演じるエリック・オーウェン)の、そのことに触れていた。

インタビューで主演者が語っていた中で、超難しい演唱を暗譜するには、ひたすら練習を繰り返すしかなく、それでも他のオペラでは、マエストロを視線の端でチラ見でいいが、この作品ではほとんど必死でマエストロを見るしかなかったというのが印象的。

さらに、目の前には蜘蛛の巣を張り巡らされているような感じで、それも二重にも三重にもなっていて、その一つ一つがキラキラと点滅するような、そんな感じで演じていたそうだ。いかにものすごい動きを要求されていたかが、多少なりとも分かるような気がする。

以前、新国立で上演されたプロダクションも、舞台に水を張った、すこぶる斬新な舞台でしばし話題になったいたようだが、METは、METとしての本領を発揮、存分に誇らしい公演となったことは間違いない。内容についての詳細→METライビビューイング

#9 画像はMETライビビューイング HPから。

「マザーレス・ブルックリン」

200301 MOTHERLESS BROOKLYN 米 144分 製作(共)・脚本・監督・主演:エドワード・ノートン

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エドワード・ノートン出演作品は随分見ているが、彼がこれほどの才人ということは知らなかった。実話に基づいた原作(1990年代の設定)を、彼が1950年代に置き換えて脚本を起こしたもの。作中の人物の多くは実在のモデル。唯一、脇役ながら、重要な役柄の黒人女性は、ノートンお気に入りの黒人女優を念頭に彼が付け加えたと知った。

孤児だった自分を引き取ってくれた親も同然の私立探偵、フランク(ブルース・ウィリス)が追っていた事件の山場で、そのフランクを目の前で殺された主人公ライオネルエドワード・ノートン)は、驚異の記憶力を武器に、死の直前、フランクが発した言葉だけを頼りに事件の真相に迫ると、巨悪の張本人、都市計画監察官モーゼス(アレック・ボールドウィン)に浮かび上がる。

彼はこれまで橋や公園を無数に作って来た実績を誇るものの、その裏で犠牲者が累々であることには無関心どころか、さらにそれを強引に推し進めようと企む、ま、どこにもある、絵に描いたような利権構造にあぐらをかいて、甘い汁を吸い続ける巨悪の典型人物。(すっかり肥満したアレック・ボールドウィンがうまく演じている。)

事件を追い続ける過程で、知り合う黒人の人権運動家ローラ(ググ・ンバータ=ロー)、ジャズのライブハウスを経営するその父親、よく分からない監査官の弟(ウィレム・デフォー)などが登場する。ライブハウスの場面が秀逸で、マイルス・デイヴィスをモデルにしたバンドの演奏が心地よい。

ノートンの役は生まれつきのチック症という設定で、これは、思いもよらない言葉を突如口走るが、自分ではどうにも制御できないという厄介な病。置かれた状況で、さまざまな言葉を発するのだが、すばらしいタイミングで出ることも多く、そのことでライブハウスでは、演奏しているトランペッターから気に入られるという一幕も。

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ローラといる時だけ、深い安らぎを感じるライオネルだった。ラストシーン


事前に全米トゥーレット(チック症)協会へ仁義を切り、併せて、演じるための様々なヒントをそこで得たようだ。日本語訳がまた実に的確というのか、少し不謹慎ながら、さんざん笑わせられた。

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監督をしながら、主役を演じるっていかに大変か想像を絶する。(撮影風景)

それにしても、今の撮影機材ってーのは、コンピューターの塊のようだ。

#8 画像はIMDbから

「神宮の杜に集う彫刻家たち」明治神宮鎮座百年祭奉祝 奉納展

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晴れ上がった空を背景に鳥居がくっきり

久しぶに明治神宮へ。平日の真昼間だが、人影まばらはやはりアレの影響らしい。外国人もほぼすべて西欧系(のようだ)。

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この快晴の下、ラッキーな一組

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今日の目的は、本殿を囲む回廊に展示されている彫刻群。

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青く囲ったのがお目当の彫刻家の作品

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小さくて見えないが、中村真木の「私の内に」が見えればいいのだ。

全部で31点が展示されている。彫刻家ということだが、中には彫っていない作品も。

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菊池伸治「北の星へ登る」六方石、さび石

不思議なもので、磨くと、まったく異なる色が出てくる。石の面白さ!

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花田麗 ROSSO II

これは石ではない。ミクストメディアとだけなので、具体的に材料は不明。

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安田侃 「意心帰」 大理石

どこかで見覚えがあるのは、地下鉄大江戸線六本木駅を上がる途中にでんと座っているのがこれの10倍ぐらいの作品。

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杉山功 「SANCTUARY」  大理石

これも不思議な色の大理石で、上部は磨いて白い神殿になっている。

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中村真木「MY INSIDE」 大理石

彼女のことは、以前もここで紹介しているので、省略するが、若い頃にローマのアカデミーで彫刻を習い、以降、大理石の山があるCARRARAで意欲的に制作活動を続けていた日本の代表的な彫刻家。今回の出展者の中でも際立った存在。

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朝野浩行 「時間の雫」花崗岩

花崗岩の持つ、ざらっとした質感と、磨き上げた光沢のある部分の対比が面白い。

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So イズミ 「Sassofono? GN」大理石、鉄、真鍮

鳴らない楽器。サキソフォンだが、表面のシマシマ模様が面白いのだが、これも大理石とは!

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藁谷収 「測候所のある風景」大理石

測候所らしい構造物の上にたっているのはどうやら水道の蛇口らしい。

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湯川隆 「Composition -UOMO-」 木、テラコッタ

意表を突かれる作品。見ていて楽しい気分に。

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高橋健二 「平らーPiattoー」大理石、ナイロン糸

色も形も、素材も珍しい作品。

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八木麟太郎 「エントロピー (entropy)」御影石、木

右側の御影石は中が空洞になっている。

以上、展示作の半分程度しか紹介できなかったが、力作ぞろいなのに、見る人がまばらなのはもったいない。

 

今回は中村真木と懇意の昔仲間と一緒に回ったのだが、集合時間前に本殿前のスペースでどこかのアスリートがお祓いを受けていた。ふと脇に目を移すとなにやらカメラマンたちがたむろしている。しばらくすると、出てきたのが・・・、

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ヤクルトの選手はあまり知らないが、村上はさすがに知っている。

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絵馬を奉納しに、ここに立ち寄るのだ。

これは楽天から移籍してきた島選手。

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寒風で、絵馬がカチャカチャ鳴る中、島選手も無事奉納。

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カメラマンが群がっているなぁと思って見てたら・・・

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ルーキーの奥川だ。

原宿駅前にある南国酒家でランチを楽しんで解散。

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オリンピック後、解体・撤去が決まっている原宿の現駅舎。

こういう歴史的な建築物、そんなに簡単に取り壊しちゃっていいんだろうかねぇ。

「画家が見たこども展 ゴッホ、ボナール、ヴュイヤール、ドニ、ヴァロットン」三菱一号館美術館開館10周年記念

200226 ブロガー対象の内覧会へ。

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確か4,5年前に、森アーツセンターギャラリーで、「こども展」を見た記憶があるので、それ以来となる”こども展”。

その時とは画家がまったく異なるから、初めて見る作品ばかりで、その点でも、大いに興味をそそられた。一点撮りは認められないので、掲載する画像はかなり限られたものに。

さらに、コロナウィルス禍で、予定されていたトークショーが中止になり、これまでの内覧会とは少しばかり異質なものになったのは否めない。それでも、短時間ながら急遽高橋館長とTakさんのトークショーが設定されたのは不幸中の幸いであった。

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ブレのベルナールとロジェ(モーリス・ブテ・ドゥ・モンヴィル)の前で

本展の詳細については、→ 画家が見たこども展

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「室内の子どもと女性」(ポール・マティ)奥と「病める子ども」(ウジェーヌ・カリエrール)手前

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ジュヌヴィエーヴ・ベルネーム・ド・ヴィレール(ルノワール

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「少年のいる室内」奥と「猫と子どもたち」手前、いずれもボナール

他に当館所蔵のヴァロットンの作品にも子どもが登場するものが少なくなく、どれもチャーミングで、子どもに対する画家の目線が生き生きと感じられるものばかり。

今回も主催者の特別な許可を得て撮影。ただし、繰り返しになるが、一点撮りは不許可、さらに展示風景としても撮影禁止という作品もあり、ここに載せる画像があまりなく、いささか寂しい記事となった次第。

会期は6月7日までだが、新型コロナウィルス感染拡大防止策の一環で、3月16日まで、臨時休館となった。

現代のレクイエムを聴きにトリトン・スクエアへ

200224

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友人が出演する演奏会へ。今日はまさに春の陽気の中、晴海まで地元(蒲田)合唱団仲間と出かけ、軽く海鮮ランチを楽しんでから、ちょっとした庭に出てテイクアウトのコーヒーとおしゃべりを楽しんだ。花々が咲き乱れ、というのは、まあちょっと言い過ぎだが、それでもさまざまな植物が植えられていて、憩いの場を提供している。

さて、演奏会だが、2曲とも初めての鑑賞。ラターは自分たちも歌ったことがあるので、概ね予想通り。美しいメロディーが身上のラターらしく、レクイエムと言っても、数ある古典のものとはかなり印象の異なる、全体に明るめの作品で、オケも木管やホルンの軽やかな旋律が印象的。歌詞はラテン語の中に時折英語が混ざるという構成。

一方、後半に演奏されたダン・フォレストの作品だが、現在41歳のアメリカ人が2013年に作曲したというから、まずそこに驚きを禁じ得ない。「死者のためのミサ曲」であるレクイエムと来れば、上のラターを別にすると、モーツァルトヴェルディフォーレのものが代表的なものとして知られているだけに、ついこの間出来たばかりの曲がレクイエムというのが、なにか新鮮、というより不思議な感じがする。歌詞はラテン語のみ。

そして、ラターと違って全体に曲想がダイナミックであり、凄みも優しさも感じさせてくれ、さらに独唱が合間合間に挿入されているのも聞き応えに厚みを加えてくれた印象。独唱者の一人は手前に陣取るボーイソプラノであり、後方合唱団の中央から届く堂々たるソプラノと響き合って、どこか異次元にいるような錯覚にとらわれていた。

この2曲とも、いつか自分たちも歌ってみたいと話し合いながら、すっかり日が長くなった中、晴海の会場を後にした。(来る機会の少ない月島ゆえ、もんじゃ焼きを食べに行った人もいたが)

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