171028 今年から運営委員になってしまった大田区合唱連盟主催の合唱祭が、区民ホール アプリコ大ホールで開催された。あいにく、小学校のクラス会と重なってしまい、中抜けで、雨の中、蒲田からクラス会会場の三軒茶屋を往復した。
初夏のコーラスフェスティヴァルの時と同様、今回も舞台の担当だったから、高齢者にはかなりの激務になった。舞台袖にいて、合唱団の出入りの確認、団ごとに事前に集約した情報に従い、ピアノの蓋の高低管理、譜面台、指揮台の出し入れと、結構これがハードで、前回同様、今回も終演時には疲労困憊の態。
合唱祭の看板も中央にきれいに上がって、一安心!
調律師、9時半から開場後の11時近くまでかけて入念な調律を行ってくれた。
下手側の舞台袖の様子。影アナ、録音担当、演奏団体看板の入れ替え担当とさまざまな担当者が入り乱れて、動いたり動かなかったり。
次の出番を待つ合唱団。それぞれ柔軟体操したり、おしゃべりしたり、頭の中で歌詞を反芻すたり、緊張の面持ち。指揮者、伴奏ピアニストに譜面台や指揮台等の確認を行い、並び順も最終確認と慌ただしい。
11時過ぎに三軒茶屋の銀座アスターへ。世田谷区立桜小学校は明治末期に開校しているから、100年を超える、区内でも指折りの老舗小学校。卒業時(昭和30年)の6年5組も、近年、先生を始め、あちら側へ移動する人が増えて、20名を超えることがなくなった。概ね、女子10名、男子5名が固定メンバーだが、今回は男女5名ずつと寂しいクラス会になってしまった。
中で、年初に悪性リンパ腫で死にかかった男の話がなかなか聞かせた。やはり一度死んだ気になると、普段あまり考えつかないような行動を起こすものらしい。彼は、実に多趣味な男だが、なかでも釣りが大好きで、釣りをしながら考えついたらしい。ライフジャケットを装着して逃げていれば、東日本大震災時の大津波でも救われた人が多かったに違いないと。
さっそく太平洋側の県知事などにライフジャケットを各地元学校に揃える運動を起こすべしと13通の手紙を郵送した。さらには、自ら一定数のライフジャケットを送ってもいいという提案まで。
反応はまちまちだったらしいけど、宮崎県のみ、彼の提案に乗り、ライフジャケットを受け取ったということだ。その費用、25万円!個人でこんなことをやってしまう彼も凄いが、それよりせっかく貴重な提案を受けながら、まるで聞き流すような通り一遍の対応する自治体の多さに驚いた。
彼の調べたところでは、ほとんどの津波による死者は溺死ということは明白であり、あの時ライフジャケットさせ着ていれば、死なずにすんだ人は圧倒的多数に上るそうだから、なんとかこの提案をきちんとしたルートに乗せて、積極的なキャンペーンに結び付けられないものか。そんなことを考えながら、合唱祭の現場に戻った。