ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「ウィーン万国博覧会 産業の世紀の幕開け」@たばこと塩の博物館(墨田区)

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以前から気になっていた「たばこと塩の博物館」へ。

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最寄りの西馬込から乗り換えなしで本所吾妻橋下車、徒歩8分。びっくりするほどスカイツリーが間近に見える。周辺はがらんとした倉庫街のイメージで、そこに堂々たる構えの建物が。

1978年、渋谷公園通りにJTが設立したちょっと珍しいこの博物館、3年半前にこちらに移転。真新しく広々した空間を贅沢に利用している。

ちょうど標記の展覧会開催中で、これが見たくてはるばる墨田区横川まで足を運んだ次第。

日本が初めて万博と関わったのは、1862年。折から開催されていたロンドン万博に文久遣欧使節団(別名竹内遣欧使節)が見学したことが最初であり、出展したのは、それから5年後、1867年第2回パリ万博であるが、当時の政情を反映したかのごとく、幕府、薩摩藩鍋島藩がそれぞれ出展するという、国際的には理解されにくい事態であった。

正式に国として出展したのが、更に6年後のこのウィーン万博(1873)というわけだ。それだけに、政府としてもえらい力の入れ具合で、事前に各県から特産物を出させて、調査研究、選別などに相当な時間と労力を注いだらしい。それらがよく分かる展示となっていて、まことに興味深い。

細々した美術工芸品も、当時の西欧人を瞠目させるに十分だったが、さらに「目玉」として、大きくて一目を引くもの、名古屋城金のしゃちほこや特大の提灯なども展示されたようだ。

会場はウィーン近郊のプラーター地区で、日本館の他に日本庭園もそのためにわざわざ造営された。戦争やら不況などで、当初見込んでいた2,000万人のほぼ1/3の700万人ほどしか来場せず、開催国としては大赤字となったらしい。

だが、日本にとっては、この国際舞台への初参加が契機となり、その後の殖産事業に大いに貢献した模様。

さて、常設館の方だが、2階には塩の展示。とりわけ岩塩についての展示に面白いものが多かった。なかでもポーランドヴィエリチカの地下大空間での様子が動画で見られたり、岩塩を彫ったマリア像の実物大レプリカが展示されてたりで、大いに興味を惹く。

さらに3階にはタバコ(含む、パイプ、シガー)の歴史、各国のパイプやタバコ関連グッズが所狭しと陳列されている。一見の価値は十分!