ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

驚異のジョヴァンニ・ソッリマ!

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最も好きな演目のひとつ、ドヴォコンが聞けるとあって、楽しみにミューザ川崎まで。しかも、話題のチェリスト、Giovanni Sollimaの演奏で聞けるので開演までワクワク。今日の席は1階左セクション5列目右端で、ソリストまで手の届く距離。こんな素晴らしい演奏会というのに、結構空いているのは、やや宣伝不足か。

ソッリマが現れた瞬間、あらま、随分小柄な!!が第一印象。シチリア人だから、まあこんなもんだろうが、しかもかなりラフなスタイルが2度目の驚き。これからドボルジャークを弾こうかっていう雰囲気は微塵も

上下黒はいいとして、上はフルジップの長袖シャツ(やや光沢あり)、下は何の変哲もないズボン、さらに目を引いたのは編み上げの黒皮ブーツ!まあまあ、これが彼なりのこだわりなんだろう。

渋い光沢を放つ楽器は、見るからに古色蒼然たる名器の風情、1679年、クレモーナのフランチェスコ・ルッジェーリのモデルだそうだ。

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演奏が始まると自分の出番が来るまで、弓を床に置いてチェロを抱きかかえて、瞑目したまま、ひたすら曲に浸りこむ。そして、出番。実に力強い運弓である。さらに身体の動かし方がはんぱない。時に腕を虚空に突き上げたり、開放弦の時は思いっきり左手を後ろにまわす所作も。

当然顔の表情が千変万化するのも、見ていて飽きることがないほど豊かだ。苦悶、恍惚、陶然たる表情から、カッと目を見開き、斜め上のマエストロ、右横のコンマスと頻繁にアイコンタクト。とくに、後半、コンマスとの掛け合いの場面は、コンマスの顔をにらみ、微笑みとまことに忙しい。

このような演奏スタイルは、一度も見たことがない。ドボコンは細部の細部まで知り尽くしている風で、自在にコントロールできる弓さばきと音量加減には、こりゃもう脱帽だワ。長く記憶に残る演奏に違いない。ただ、「えっ!こんな旋律、あったっけ?」てな感じで、結構自分流に解釈して好き勝手にやっているのかも。

終わった後の歓声もまたこれまでクラシックの演奏会では聞いたことのないほどの物凄さ。アンコールに選んだのはナチュラル・ソングブックNo.4 & 6、もちろん初めて聞いたが、超アクロバティック演奏で、クラシックの領域をはるかに超えるもの。

普弓をこする通の位置よりはるかに下にあるテールピース(緒止め)をこすったり、ピッツィカートは当然であるが、やはり下の方に張ってある弦を跳ねたり、胴体を叩く、激しく足踏みする、会場に手拍子をさせる等々!近くの若い男性客は感極まったように雄叫びをあげる始末。もちろんスタンディングオベーションする者、少なからず。

パレルモ出身、現在57歳の彼はチェリストでもあるが、作曲家でもある。両親ともに音楽家で、一時ドイツで研鑽を積み、アフリカ土着の音楽や様々な領域の音を取り入れた自由な発想を作曲活動にも展開している。演奏を聴いていて、よく分かった。チェロ界のジミー・ヘンドリックスと言われる所以だ。

オケもこの”変人”に付き合って、よく演奏していた。特に弦楽器がすばらしかった。難を言えば、やはりホルンかなぁ。多少技量的にも、と思いがちだが、それだけ難しい楽器だからねぇ、責めてはいけないね。

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後半の芥川也寸志交響曲1番、これが予想に反してと言っては失礼だが、すばらしかった。現代日本人がこれだけのものを作れるのは誇らしくなる。各楽章のメリハリがあって、それぞれに聴かせどころを用意し、最後は影響を受けたとされるプロコフエフ、あるいはショスタコビッチ風にまとめて壮大なエンディングを迎える。アンコールはエルガーの「夕べの歌」。

どうでもいいことだが、P席最前列中央に陣取った齢(よわい)50半ばのおばはん、ドボコンの1楽章始まる前から顔を天井に向け、口を開けて眠りこけている。実にあるまじき光景で、腹立たしいこと。名曲ゆえに気持ちよくなって居眠りすることは誰にもあるし、自分も例外ではないが、せっかくの名手が弾いているというのに、結局、最後まで眠り通した。だいたい、なにもそんな目立つ位置でやらなくってもいいと思うのだが。真っ正面だから、嫌でも目につくしそれが気になって、かなり鑑賞力を削がれた。不愉快!そのくせ、終わるや否や、急に拍手を贈るってーのは、どういう神経してるんだろう。

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