ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

杉並区民オペラ「椿姫」@杉並公会堂

210725 応援している青栁素晴さんが出演されるので、合唱練習を終えた後、すぐ大森から荻窪へ向かいました。開演時間が13時半と早いので、途中コンビニに立ち寄り、おにぎりやお茶を購入して、会場入り。

1階ロビーに確かソファや椅子類があったと思っていたのですが、がらんとして、何もなし。仕方ないので、確かB1にもちょっとしたロビーがあるはずと降りてみたら、ここも椅子やテーブル類はきれいに片付けられており、時間は迫る、腹は減るで、やむを得ず、人目につかない一隅でおにぎりを頬張り、喉を潤しました。初めての経験でした。

f:id:grappatei:20210726105549j:plain

杉並区民オペラは、過去なんども見に来ています。都内でも有数の区民オペラ団体と思います。合唱団といいオーケストラといい、常に技を磨き、精進されていて、見習いたいものです。と言っても、我が大田区にはまだ区民オペラという組織は存在していません。合唱が盛ん区の一つだけに残念に思います。

ところで、この公演の主催者はTokyo Ope'lataという変わった名前の特定非営利活動法人となっています。活動目的は広く一般市民並びにオペラ及びクラシック音楽愛好者や演奏家を対象として、合唱団及び管弦楽団を組織してその運営を行い、鑑賞会、演奏会、公演、地域住民及び演奏機会に恵まれない人々が気軽に参加できるコンサートの企画開催等を行う事により、地域における多様な年代・属性の住民がオペラ舞台・クラシック演奏の創作活動を通じて交流を深め、地域におけるコミュニティ形成を促進し、地域の文化芸術の振興の一助となることを図り、もって豊かな文化を持つ社会の現実に寄与することを目的とする。

ということで、活動地域を特に杉並区に限定はされていないようです。そして、特色としてオペラ公演では初めてオペラを観る方にも解りやすく、合唱団へも気軽に参加できる様に日本語上演にしています。を掲げています。

f:id:grappatei:20210726110050j:plain

青栁さんは3年前に、大田区民アプリコ大ホールでやはり「椿姫」でアルフレードを演じられ、ラッキーなことに合唱団員の一人として愚亭も同じ舞台に上がったことがあるだけに、この演目はとりわけ印象深いのです。

ところで、今回も日本語上演!ご本人に確認すると日本語版がまた何種類もあるとのことですから、暗譜するのが大変だったろうことは、容易に想像がつきます。しかも、字幕も出るので、間違えればすぐに露見するという厳しい環境です。有名なアリアであればあるほど、原語が染み込んでいるでしょうから、日本語による歌唱がいかに過酷な条件かよくわかります。

素人の勝手な所見ですが、日本語がうまく音符に合っていない箇所がけっこうあったように感じられ、歌いにくいだろうなぁと歌手たちに同情を禁じ得ませんでした。

そこで、思ったのですが、日本語上演というのは、前記青い文字の部分にあるように、オペラファンの底辺拡大に向けてあらゆる年代にも分かりやすく、オペラを身近に感じて欲しいという意図を込めて始められたということですが、日本語でも、オペラとなれば、実は何を言っているか結構これがわかりづらいので、頻繁に字幕に頼ることに。であれば、原語のままで日本語字幕で構わないのではないでしょうか?ま、確かに合唱団など、プロでない方々にとっては日本語が楽であることはもちろん否定はしませんが。そんなことをふと感じてしまいました。

さて、アマチュアの組織による公演ゆえ、予算の問題が大きいので、大掛かりな公演は無理です。当然、装置など、低予算の中でどう作り上げるかということになります。今回の舞台も簡素そのもの。舞台にはさまざまな形の十字架が置かれており、中央上部に円形物体が吊るされていて、これが照明により月、太陽、その他諸々を象徴していたようです。

左右にはドアとも鏡台ともつかぬ白枠縦長の台が。十字架は場面場面で釣り上げられたり、降ろされたりの可動式。縦長台は常に不動。あとは中央と左右に上部から白い垂れ幕があり、中央部は出演者の出入りにもなります。

そして一番意外だったのは、主催者側でもある合唱団の姿がまったく見えないことでした。舞台裏のいわゆるP席と称する位置に陣取り、手前に紗幕がかかっていて、目を凝らせば辛うじて存在が確認できるようになっています。カーテンコールでは、紗幕が上がって全員の姿が確認できましたが、いつもより少なめで、しかも黒マスク姿で、徹底して今回は黒子に徹したようです。

椿姫と言えば一幕の冒頭が華やかな舞踏会のシーンですから、通常であれば、合唱団もソリストに混じって結構目立つ存在なのですが、こういう時期でもあり、あえて密集を避けた演出になったと思われます。でも、見えなくても、存在感のある歌声でした。三幕の街頭のお祭りの場面が特に素晴らしく感じられました。

青栁さん始め、ソリストのみなさんもすでに何度もこの作品の舞台を踏んでおられる方がばかりですから、それは見ていてよく分かりました。繰り返しになりますが、日本語ゆえの違和感というのは、やはり避けがたかったです。有名なアリアであればあるほど。本音を言えば、やはり原語で聞いてみたかったということです。

このホール、オケピットがないので、をせりあ舞台にオケが乗り、奥に山台を組んでソリスト陣の舞台を設けていたようで、従って、かなり狭いです。指揮者は客席からよく見える位置となるため、視界をさえぎらないよう着席して棒を振っていました。
それと、舞台の上方向、客席側に向けて3枚ほど黒い幕(あるいは板状)が降ろされていたのは、照明器具の関係なのでしょうか。特に視界の邪魔にはならないのですが、あまり他の劇場で目にしたことがないので、何のためのものか、いささか気になりました。

終幕、主人公が突然元気に歌ったかと思うと、そのまま息絶えるシーン、アルフレード、ジェルモン、アンニーナ、ドクターたちが今までヴィオレッタが座っていた椅子にとりつくようにして悲嘆にくれ、十字架がすすーっと上に引き上げられる演出はなかなかのものでした。岩田イズム、ここにありという受け止めをしました。