ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「MINAMATA-ミナマタ」

211005 映画館へ行きました。緊急事態が解除されていたこともあり、珍しく家人は何も言いませんでした。なんか、こんなちょっとしたことでも日常が少し戻ったという感じがして、嬉しいです。

さて、本作、ジョニデことジョニー・デップが製作(複数人)、自ら主演した地味な作品です。監督はアンドリュー・レヴィタス(監督としては本作が2本目。45歳)。地味ですが、ずっしりとした重みを感じます。

ジョニデが演じた写真家、ユージン・スミスさん、1978年に59歳で亡くなっているんですね。この映画は1971年(53歳)に始まるという設定です。3年ほど、彼は現地水俣で生活したらしいです。

もともと従軍カメラマンとしてサイパン硫黄島、沖縄などに派遣され、「ライフ」誌に写真提供をしていました。沖縄で負傷し、生涯、その時の後遺症に悩むことに。この映画は、その雑誌社の編集会議へ乱入、編集方針をめぐって編集長であるロブ(ビル・ナイ)に難癖をつけ、捨て台詞を残して出ていくというところから始まります。ロブはユージンのカメラ・センスを最も理解していた人物なのに。(この編集会議に登場する人物の一人にウェールズ出身の歌手、キャサリンジェンキンスが出ていたことに驚きました。)

 

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この頃のユージンの生活はかなり荒んでいて、昼間から酒を飲み、かなり自暴自棄のように見えます。それを変えることになるきっかけとなったのが水俣でした。親交のあったある日本人からの提案でした。

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左側、ユージンの妻となるアイリーン(美波)。美波さんは日仏のハーフ。

ということで、水俣に行きます。通訳としてアイリーン(美波)という日米ハーフの女性が同行することに。(実生活では、すでに同棲していたようですが、映画ではそこには触れていません)

ベテランカメラマンですから、水俣のことは当然情報としては持っていたのですが、現地で実際に惨状を目のあたりにしての衝撃は想像以上だったようです。理解のある日本人からの助言や支援もあり、撮影し続けます。撮りためた写真やネガのあるスタジオとして借りていた小屋が全焼(原因は不明ですが、放火もあり得たでしょう)したり、会社と遺族たちとの激しい交渉の現場でシャッターを押し続けたユージンは会社側が雇ったと思われる保安員から激しい暴行を受けて脊椎損傷、失明という重症を負います。

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会社側の保安要員から暴行を受け、シャッターすらまともに押せなくなります。

遺族側のリーダー的立場として描かれる山崎を演じた真田広之が素晴らしい演技を見せます。またユージンの手助けをするキヨシを演じる加瀬亮もいいです。もちろん、チッソ社長を演じた國村隼もうまかったです。

こうして彼が撮影したモノクロームの写真がある日、ドサっとライフ社のボブのところに送られ、とりわけ「入浴する智子と母」と題する一枚には目が点になります。ここは本作で、最も感動的なシーンの一つでしょう。映画として撮影されたものの後に、実際の写真も併せて見せてくれます。(この一枚をめぐっては、その後、公開か非公開かで遺族との間で揉めたようです。)

予算の関係だったかどうか、撮影はもちろん日本でも行われましたが、セルビアモンテネグロで撮影され、スタッフ陣にずらりとそちら系の人物が多数エンドロールで流れ、やや奇異な印象を受けました。もしかすると水俣での撮影が難しかったのかも知れませんが。

久しぶりにどっしりとした社会派ドラマが映画館見られて満足しました。やはり、まだ入りは半分以下で、場内はスカスカでした。また、いつのまにかチケット売場のシステムが改良されていて、事前予約するとQRコードが送られてくるのは以前と同じですが、発券することなく入口に置かれたリーダーにかざすだけでOK!どんどん手間が省けていきます。

映画とは関係のない話ですが、今日、コンサートのチケット発券のためセブンに行ったところ、スマホに表示されたバーコードを読み取るだけ、支払いもスタッフに手渡さず、セルフレジで行い、スタッフはキャッシュに触れる必要をなくしたようです。ものすごい勢いでこうしたイノベーションが進行しているのを実感した次第。