ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「レーピン展」

120810  渋谷Bunkamuraザ・ミュージアム

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何年か前にトレチャコフ美術館展がここで開催された折、レーピンも何点か展示されたことがあるが、今回はレーピンだけの展覧会だから、凄い!

3年前にロシアを初訪問した際、うまい具合にサンクトペテルブルクのロシア美術館とモスクワのトレチャコフ美術館,両方に入れたので、ロシア美術の神髄に触れた気がした。中でも、このイリヤ・レーピンの凄さは鮮明に記憶に残った。

それが今回93点もまとまって見られるのだから、まことにありがたいし、東京に住んでいてよかったと思わざるを得ない。

油彩がほとんどだが、中には「ヴォルガの船曵き」のような、大作のための習作が相当数展示されていて、制作過程が細かに示されているのが興味深い。

この人も多数の日本の洋画家が辿ったと同じ道、即ち、19世紀末にパリへ出て、当時既に活躍中だった著名画家たちとの交流を通じて、多くを学んだようだ。

レーピンが目指した画家が、レンブラント、ハルス、ベラスケスだということだが、さすがである。どれも、古今東西を通じて最高クラスの画家ばかりである。(因に、ダリが高い評価をつけた画家はベラスケス、フェルメール、そしてダリ自身)

どの作品も並外れた筆力に驚嘆するばかりだが、数点、Bunkamuraのサイトから紹介すれば、

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見るも恐ろしい顔をしたのが皇女というのだから、びっくり。Bunkamuraの特集サイト掲載の説明を以下抜粋

ソフィヤは1682年に同母弟フョードル3世の崩御にともない、幼くして即位した同母弟イワン5世とその共同統治者の異母弟ピョートル(後のピョートル1世)の摂政になったが、数年後ピョートルはソフィヤを修道院に幽閉する。作品名とは異なり史実では9年後の1698年、銃兵隊がソフィヤを擁して暴動を起こしたが鎮圧され、反乱者は厳しく処刑され、彼女の僧坊の窓にはその遺体が吊るされた。作品にはそれに激怒する様子が描かれている。翌月ソフィヤは剃髪出家させられて修道尼となり、6年後に他界した。

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この作品は発表と同時に美術界の論争の的となった。同時代の人々にとって、主人公の運命は、数年前に起きた皇帝アレクサンドル2世の暗殺事件を思い起こさせるものだった。そしてこの一風変わった作品のタイトルは、主人公の帰還がいかに不意を突くものであったかを強調している。
絵に描かれているのは誰か、どんな気持ちで家に入ってきたのか、描かれている他の人物は彼にとって誰にあたるのか。ここで重要なのは、男の姿が漂わせる、生家に帰ってきた人間の居心地の悪さである。「思いがけずに早く帰ってきた」者の姿を描くことで、レーピンは人間の存在の正当性と、ある人生の意味についての問題を提起しているのである。

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死が間近に迫っていたモデスト・ムソルグスキーの肖像。ムソルグスキーの死後、その肖像画を売ってムソルグスキーをアレクサンドル・ネフスキー寺院に埋葬する費用にあてたという。

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⬆今回は本作の展示はなかったが、習作が何点か展示されていた。モスクワで見て、もっとも衝撃を受けた作品の一つ。こんな説明がある。➡1885年には、最も心理的な密度の高い絵画『イワン雷帝と皇子イワン』を完成させる。カンバスの中でイワン雷帝は、怒りを抑えきれずに息子を殴って深手を負わせてから正気に戻り、死にゆく息子を抱き締めつつ恐れ慄いている。怯えきったイワン雷帝の横顔は、力ない息子の横顔と対比をなしている。

ということで、日本では、一般的にロシアの画家は、西欧画家に比べて、実力の割に,不当に評価が低いように感じる。それを実感するだけでもいいから、是非、この美術展には数多く行って欲しいもの。