ぐらっぱ亭の遊々素敵

2004年から、主に映画、音楽会、美術展、グルメなどをテーマに書いています。

「テイキング・サイド ヒトラーに翻弄された指揮者」@AmazonPrime

240716 TAKING SIDES (加担する)、2001年、1h48m  仏英独墺合作 監督:イストヴァン・サボ(1938生まれのハンガリー人)

↑副題にフルトベングラーのケースとあるように、戦後、ナチに関するさまざまな取り調べが連合軍によって行われましたが、その一環として扱われた、当時ベルリンフィルの正指揮者だったフルトベングラーが、ヒトラーナチスとどの程度関与したかを取り調べた米軍将校アーノルド中佐(ハーヴィー・カイテル)と当のフルトベングラーステラン・スカルスガード)の息づまるようなやりとりを主に扱った作品です。

この話、つまりフルトベングラーはなんらかの形でナチに関与したのではないか、というのは広く知られておりますが、ただそれを客観的に証明はできないわけで、あくまでもフルトベングラーの内面のことですから、結局、結果は無罪となるわけです。クラシックファンとしては、快哉を叫んだことでしょう。

しかし、この取り調べ側のアーノルド中佐の異様なまでの追及ぶりは、その理論的組み立てには感嘆しますが、どうしてもフルトベングラーに肩を持ってしまうひとりとしては正直、かなり不快でしたね。

ことはフルトベングラーvs.ナチスという簡単な構図ではなく、そこには、ユダヤ問題やらも絡んでくるので、実に複雑怪奇の様相を呈します。彼はこれまでの人生の中でこれほど非人間的扱いを受けたことがない割には、自分なりにナチやヒトラーとの過去の関係を整理して、アーノルドに対峙するのですが、なんたって音楽家・芸術家ですから、中佐に対抗できるわけもなく、ほとんど倒れんばかりに打ちひしがれます。

辛うじて同席していた中佐の助手ウィリス中尉(モリッツ・ブライブトロイ)が何度か横合いからフルトベングラーに寄り添った発言をしますし、また中佐の秘書、エミーも中佐の過酷な取り調べには心底辟易して、辞職して抗議しますので、見ていても救われた思いでした。

実は当時メキメキ頭角を表していたカラヤンも姿は見えませんが話には登場します。むしろカラヤンの方がナチスとの関係が深かったにもかかわらず、それほどの追及も受けず、お咎めなしだったのは不思議ですが、一説にはカラヤン自身、相当狡猾に立ち回ったらしいです。

そして、このカラヤンに対して、まもなく老境にさしかかろうとするフルトベングラーがその才能と若さに嫉妬していたに違いないとまで中佐は言い募るのでした。

話は少しそれますが、そう言えば、第二次大戦下の日本でも、藤田嗣治をはじめとして宮本三郎荻須高徳ら当時の一流画家たちが戦地へ駆り出され、いわゆる戦争絵画を軍から強要され、戦後、問題視されたことがありましたが、いわゆる芸術家たちを巻き込んで戦後、軍に協力した廉で処断しようという展開には無理がありますよ。

結局、藤田一人を悪者にして他の画家たちは涼しい顔をしてたっていうことに、ちょっと共通点があったように感じたのですが、違いますかね。

本作、中佐の部屋を後にしたフルトベングラーが建物の階段を降りていくシーンで、ウィリス中尉が大音響で蓄音機から流した「運命」が響き渡るのですが、きわめて暗示的なラストでした。間違いなく佳作です。それにしても、主役を演じたスカルスガードとカイテルの演技、まさしく魂と魂とぶつかり合いで、見事でした。

ついでながら、原題の「加担する」ですが、無論、フルトベングラーナチス、あるいはヒトラーに加担したのか、でありますが、同時に、中尉や秘書が連合軍側ではなく、フルトベングラーに加担していたように、見ている側もどちらに加担するのか問いかけられているようにも感じました。