211217 SPLENDOR(”輝き”という、映画館の名前)111分、1989年、伊仏合作、原案・脚本・監督:エットレ・スコーラ
本作の日本公開は1991年。なぜか公開されたことに気づかなかったのです。イタリア映画狂いと自認していた愚亭としては大失態でした。ということで、本作に関する情報、ゼロでした。
今回たまたまイタリア映画祭事務局から【イタリア名優列伝 ちょいワル編 オンライン上映のご案内】というタイトルのメールが来て、有料配信で鑑賞しました。アルベルト・ソルディ、ヴィットリオ・ガスマン、マルチェッロ・マストロヤンニ、マッシモ・トロイージなど、ちょい悪風おやじたちの作品を集めたようです。
この作品、冒頭から「こりゃ、そっくりだ!」と思わせたのは本作の前年にジュゼッペ・トルナトーレによって作られた名作「ニュー・シネマ・パラダイス」です。ニューシネマの方が大ヒットしたのに、1年後に作られた本作がほとんど知られていないのは実に不思議です。こちらの方が名優揃いで、愚亭には本作の方が心により深く沁みました。日本での宣伝力のせいなんでしょうか、その辺はよく分かりません。
舞台は、ニュー・シネマがシチリアだったのに対し、こちらは中部イタリア、ラツィオ州フロジノーネ県にあるアルピーノという山間の小さな村です。
冒頭、館内(舞台であるスプレンドール座の)に数人の観衆だけがまばらに。スクリーンにはスタッフ・キャストの名前のオープニングロールが流れる。しばらくすると、この映画館最後の日の模様らしきものが映し出される。中央にオーナーのジョルダン(マルチェッロ・マストロヤンニ)がぼんやりと周囲の撤退作業を見ている。
一転、モノクロ画面がこれ。
これが後にスプレンドール座のオーナーとなるジョルダン(イタリア人にしては、妙な名前ですが・・・これをマルチェッロ・マストロヤンニが)の姿です。父親が映写技師ですから、そうなる運命だったようです。ひとしきり何十年か前の回想シーンがモノクロで流れて、現在となります。
この作品、モノクロとカラー映像が頻繁に入れ替わります。しかも必ずしも回想シーンだけがモノクロというわけでもないので、少しだけ混乱します。
物語は主人公ジョルダンを中央に、館内案内係に採用したフランス人のシャンタル(元は踊り子で、ジョルダンが気に入ってここに引っ張ったのです。これをなんと懐かしや、マリナ・ヴラディが演じます)シャンタルの色気に男性客が群がります。ジョルダンの目論見は大成功。そんな中に若いルイージ(マッシモ・トロイージ)がいて、彼女目当てに連日映画を観に来るうちに、すっかり映画狂いに。
ある日、映写技師のオヤジから操作方法を教えてもらい、ついには彼の持ち場になってしまいます。彼の発案で、名作を次々に上演します。「野いちご」「アルジェの戦い」「プレイタイム」「アメリカの夜」「フェッリーニのアマルコルド」「素晴らしき哉人生」などが上映されたり、そういう意味で、ルイージはずいぶんジョルダンを助けたことになります。
とは言え、次第に映画は斜陽となり、ついに・・・・
金策に奔走するが、一旦は持ち直すかに見えたのだが、
いよいよ館内の椅子を撤去し始めると、そこに作業を邪魔するかのごとく押しかける観衆たち。この映画館、実は天井が開閉式になっているというモダンなもので、なぜかそこが開き、舞い落ちる雪。観衆が想いを一つにして歌う「蛍の光」(イタリア語ではDomani tu mi lascerai e piu’ non tornerai domani tutti i sogni miei li porterai con te 訳は、明日あなたは行ってしまう もう帰ってこないのね 明日わたしの夢をすべて 持っていってしまうのね)これは明らかに「素晴らしきかな、人生」へのオマージュでしょう。
ニュー・シネマ・パラダイスとは終わり方がまったく異なりますが、実に感動的でした。
ところで、マッシモ・トロイージですが、1994年、名作「イル・ポスティーノ」で監督、主演をやり、クランクアップ直後になくなります。享年41はあまりにもったいないです。マストロヤンニの方は1996年に72歳で亡くなっています。
唯一今なお元気なヴラディーさん、「洪水の前」でデビューしたのは16歳!お顔と肢体でいろっぽい役柄が多かった女優さんです。本作の3年後、大黒屋光太夫を描いた「おろしゃ国醉夢譚」ではエカテリーナ女王役で久しぶりに拝見しました。同じくロシア系フランス人で、一時圧倒的に若者の支持を得たソ連時代の歌手、ウラジーミル・ヴィソツキーと結婚。同じ年で、2人とも根はロシア人ということだったからウマがあったんでしょうね。残念なことにヴィソツキーは42歳で亡くなります。マリナさんは健在、83歳。
ということで、これまた心に深く残る名作です。